戦後のガールポップ誕生伝説、伊東ゆかりと語る江利チエミ

サイド・バイ・サイド / 江利チエミ

田家:江利チエミさん1953年発売「サイド・バイ・サイド」お聞きいただきました。これは「思い出のワルツ」のB面だったんですね。当時はSP版ですからね。お聞きいただいたのはSP版からCDに起こした音源ですね。

江利チエミさんは当時15、16歳です。1952年がどういう年だったかというと、サンフランシスコ講和条約というのがありまして、太平洋戦争に負けた日本が独立国として海外から承認された年です。その時代に英語と日本語で歌っていた15歳、16歳。同じような存在が江利チエミさんだけではなくて、美空ひばりさんと雪村いづみさんなんですね。2人とも1937年生まれ。デビューしたのは美空ひばりさんのほうが早いんですけど、ひばりさんはキャンプ経験がない。横浜の魚屋の娘さんで、焼け跡でみかん箱の上で歌っていて評判になって、そのまま横浜の劇場デビューしてしまったっていう、そういう恵まれた始まりでした。

米軍キャンプは江利チエミさんと雪村いづみさんも経験してるんですね。チエミさんとひばりさんと雪村いづみさんが初代三人娘と言われておりました。美空ひばりさんはね当時から別格なところがあったんですね。どんな歌を歌わせても上手い少女だった。雪村いづみさんもスイングジャズがうまかったんですが、チエミさんが一番ダイナミックで歌が太くて黒っぽかった。そんな人だったんですけども、彼女が歌ったのは英語だけじゃないんです。こんな歌もありました。1954年、「ウスクダラ」。



田家:江利チエミさんの1954年に発売になった「ウスクダラ」。彼女の歌はトルコ語、スペイン語、フランス語、アフリカ語、いろんな歌があります。1953年に彼女はアメリカの公演をやっているんですね。さっきの「サイド・バイ・サイド」のようなジャズがキャンプから火がついて評判になってレコードデビューして、アメリカでやらないかっていうことでアメリカで歌った。アメリカの興行師から契約したいって希望が来たりしたんですけど、彼女はまだ15、16ですからアメリカでのプロデビューは果たされなかったわけですけど、ザ・デルタ・リズム・ボーイズって有名なコーラスグループに好かれて、彼らとも共演している。その後も彼らが日本に来るたびに一緒にツアーを回ってる関係ですね。1980年に3週間、アメリカ公演をしている、そういうボーカリストでありました。そんな片鱗を60年代に入ってからの曲でお聞きいただこうと思います。



田家:江利チエミさん、1963年の「アンチェイン・マイ・ハート」お聴きいただきました。このこぶしというんでしょうかね。英語のこぶしと日本語のこぶしが一緒になってるような、アメリカ人のジャズシンガーとも違う振れ方をするのが彼女の一つの特徴でしょうね。カバーポップスと言うよりも、これはもうジャズシンガーと言っていいでしょう。弘田三枝子さんがこの後を継ぐんですけど、弘田三枝子さんの話は再来週ですね。

さっきの「ウスクダラ」もそうなんですけど、カバーポップスの特集を改めてやるにあたり、いろいろな曲を懐かしいなと思いながら聞いてたんですけど、桑田佳祐さんはこの頃の音楽にどのくらい影響を受けてるだろうと改めて感じさせられましたね。さっきの「ウスクダラ」は「ヨシ子さん」でしょう(笑)。そう思って聴くと、また違う聞き方ができるんではないでしょうか? 今週はガールポップ誕生伝説。この後に伊東ゆかりさんに江利チエミさんの話を伺います。 伊東さんにチエミさんの曲を4曲選んでいただいたんですが、まずはこの曲ですね。1952年発売のデビュー曲「テネシー・ワルツ」。

Rolling Stone Japan 編集部

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