森山良子が語る自身の歌手活動、1974年から1983年まで

田家:良子さんが選ばれた3曲目は同じ1976年4月発売のシングルで「さよならの夏」。



森山:これは今でもお客様が「あれが聴きたい」って言ってくださるんですけど、1976年の岩下志麻さんが主演していらした同タイトルのドラマ主題歌で歌っていたんですね。後にジブリの『コクリコ坂から』で手嶌葵さんが歌われていますけれども、坂田晃一さんのメロディで、歌詞もそうなんですけどもずっとずっと胸の中で色あせていかない感じがすごくて。そしたらやっぱりビリバンの「さよならをするために」も坂田さんが書かれたと聞いて、そうなんだって。いつでも新鮮なんですね、歌っていて。「歌えるかしら」という難しさもあったりして、とても好きな曲です。

田家:1976年4月、この曲が発売になった月は直太朗さんが産まれた月でもあるわけですもんね。

森山:そうですね、予定になかったものですから(笑)。

田家:これもブックレットで知ったのですが、産休でお休みをされていないって。

森山:こんな大きいお腹を抱えて、松山善三さんがお作りになった沖縄海洋博の映画のダイナミックな曲とか歌っているんですね。テーマソングを。そういうことが思い出に残っていて、もしかしたらスタッフの方たちが「お腹に何もなかったらきっとこんなに大きな歌、歌えなかったかもね」って。その生命の分だけすごくいい歌になったって言ってくださって、「そうですか、どうもすみません」って言いながら(笑)。

田家:出産の後、7月から日生劇場でリサイタルをされていて。これは先週の話になるんですけども一時引退されようとしたとか、お兄様が亡くなられた時に1回お休みをされたというような私生活が音楽生活に影響を与えるみたいなことはなかったということですね。

森山:もう吹っ切れたんでしょうね。子どもも上の子が大きくなってきましたし、やっぱり自分の仕事がなんなのか、歌を歌っていない自分の価値のなさというのをひしひしと感じて(笑)。歌を歌っていない1年半があったんですけど、私って何なの? っていうぐらい自分が存在している存在理由が見つけらないんですね。やっぱり歌を歌うことによって自分が一人前に満ちていく感じを肌でまじまじと感じたものですから。もう二度と歌を辞めようって言うまいって誓っていたんです。

田家:来週も再来週もそのことがなるほどなって思われる歌がお届けできると思います。

Rolling Stone Japan 編集部

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