森山良子が語る自身の歌手活動、1974年から1983年まで



森山:すごく好きな曲なんです。あえて地声で歌ったんですけども、だんだん自分自身が大人の歌を歌えるようになってきた時期なのかなと思ったりして。当時瀬尾(一三)ちゃんと松本隆さんという、素晴らしいものを次から次へと生み出していた前線にいる人たちと音楽ができるということもあって。ブランクが多かったので、とてもハリのある、やりがいのあるレコーディングだったし、大人っぽいでしょ(笑)?

田家:大人っぽいです(笑)。実はこの曲はシングルのB面だったんです。A面の曲はCMの後にお聴きいただこうと思います。今日の2曲目「歌ってよ夕陽の歌を」。



田家:先程の「やさしい女」はこの曲のカップリングB面だったんですね。当時ラジオ放送などから流れたのはほとんどこっちだったでしょ?

森山:そうですね。こっちをみなさんが推していたので。

田家:歌い方が違いましたね。

森山:これも私は地声で歌いたいって最初言ったんですけど、本城和治さんが「ファルセットで歌ってほしい」って、そこは絶対に譲ってもらえなかったんですね。もちろん結果的にはよかったと思うんですけれども、最後〈歌ってよ〉ってところはスタッフとかみんな、村井邦彦さんもたぶん遊びに来ていて。村井邦彦さん含め目についた人みんなに一緒に歌ってもらった感じで、ファルセットで歌ってよかったなと思います。

田家:「雨あがりのサンパ」の村井さんも遊びに来ていた。

森山:そうですね。ふらっと遊びに来て。

田家:この曲の入ったアルバム『やすらぎ』は五輪真弓さんとか、喜多條忠さんとか、長谷川きよしさんとかフォーク、ニューミュージック系の方たちが参加されていて。そういう方たちとのお付き合いと、村井さん、森田公一さんとかちょっと違う人たちとのお付き合いがずっとあったということですね。

森山:そうですね。私はあまりジャンルにはこだわらないんですけども。

田家:それは来週も再来週もそういう話になりますね(笑)。

森山:ただかなりその頃、本城さんの意見が大きく左右していたので、今の〈歌ってよ〉って普通に歌っていたのも〈歌ってよー!〉って歌った方がいいんじゃないかとか、彼なりのこの曲の受け止め方みたいなものをお話してくださったりして。「もうちょっとアタック強い方がいいんじゃない?」って。

田家:かなり細かいところまで。

森山:ご自分もグリークラブで歌ってらっしゃったから、歌に対してすごくいろいろな意見を持ってらっしゃったと思います。

田家:そういう人たちとのお付き合いの中で1976年には松本隆さんが全曲詞を書いた名作『日付けのないカレンダー』も発売になっている。

森山:このアルバムはたくさんのアルバムの中で私の一等賞かなと思いますね。本当に素晴らしい詞と素晴らしい世界観が1つのアルバムに詰まっていて、未だに一番大好きなアルバムです。

田家:この159曲の中には当然『日付けのないカレンダー』からも何曲も選ばれているわけですが、『日付けのないカレンダー』をお作りの時に直太朗さんが産まれてらっしゃる?

森山:そうですね。『日付けのないカレンダー』のジャケット写真は私の家族のイラストになっていて、お腹を大きくしていて。

Rolling Stone Japan 編集部

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