ビョークが語る「きのこアルバム」の真意、アイスランドのジェンダー平等と環境問題

自身のキャリアを振り返って

─若干11歳でデビューアルバムをリリースしています。当時のことで、何か記憶に残っていることはありますか?

ビョーク:振り返ってみると、私よりも母のほうがデビューアルバムをリリースしたことに興奮していた気がします。私はというと、ものすごく恥ずかしかったのを覚えています。デビューアルバムは、アイスランドではかなり売れました。母は次のアルバムを作りたかったようですが、私はあまり乗り気ではありませんでした。その後、私はパンクバンドのメンバーになり、15年くらいバンド活動を続けました。私は、あまりにも早い時期に人々から注目されてしまいました。自分だけがスポットライトを浴びる状況は、好きではありませんでした。みんなと一緒に働くのが好きでした。みんなとの共同作業は、とても楽しかったです。

それから16年くらい経ってから、2ndアルバムをリリースしました。タイトルは『Debut』(1993年)です(笑)。そのときはじめて、このアルバムは私のものだと自信を持って言える気がしたんです。自分ですべての曲を作曲しましたから。それだけでなく、音楽を作ることが私の仕事であり、人生だと感じました。だから、『Debut』は誠実なアルバムだと思えたんです。11歳でデビューアルバムを出したころは、世間に嘘をついているような後ろめたさを感じていました。自分は実質的なことは何もしていない。アルバムの表に貼り付けられたお飾りなんだ。そんなふうに思っていたんです。

でも、スタジオでの作業はとても楽しかったです。本当に楽しくて、あのころの経験に心から感謝しています。ヒッピー世代の素晴らしい人たちと一緒に仕事をしました。彼らは、マイクに向かって歌う方法や言葉の正しい発音などを親切に教えてくれました。スタジオという場所で、こうしたヒッピー世代の人々に育ててもらえたことはとても幸せでした。彼らは教えるのがとても上手なだけでなく、子供の扱いにも慣れていました。そのおかげで、私は子供としてのびのび仕事をすることができました。これは、かなり珍しいことだと思います。当時の経験は私に良い影響を与えてくれたと思います。

スタジオでの作業は大好きでした。でも、11歳で有名になり、街を歩いていても人に気づかれる日々にはうんざりしていました。有名人として扱われるのが大嫌いだったんです。


Photo by Viðar Logi

─あなたが在籍していたバンド、ザ・シュガーキューブスは、いまも多くの人の心の中で生き続けています。

ビョーク:そうですね。最初は、Kuklというバンドのメンバーになりました。その後、シュガーキューブスとして10年ほど活動しました。Kuklもシュガーキューブスも、3人は同じメンバーです。もうひとりのシンガーのアイナー(・エルン・ベネディクソン)とドラマーのシグトリガー(・バルドーソン)、そして私です。あれは最高の時代でした。私たちは、互いに教え合うような関係でした。とても楽しかったです。パンクという立場上、自分たちで楽曲を発表し、楽曲の権利も自分たちで所有します。ポスターやアルバムのアートワークなど、何から何まで自分たちで作らなければいけません。私の人生において、かけがえのない時代でした。

Translated by Shoko Natori

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