ビョークが語る「きのこアルバム」の真意、アイスランドのジェンダー平等と環境問題

母の死/母として曲を作る意味

─ニューアルバムの収録曲のうち、2曲は母親である故ヒルドゥル・ルナ・ホイクスドットィルさん(享年72)に捧げられています。それについて詳しく話していただけますか?

ビョーク:母は、4年前に他界しました。その翌年に「Ancestress (feat. Sindri Eldon)」を、その直後に「Sorrowful Soil」を書きました。「Ancestress」は、母に捧げる追悼文ないし墓碑銘のようなものです。どうやら私は、葬儀というものに対してきわめて特殊な考えを持っているようです。というのも、私は昔からお葬式が苦手で。お葬式って、いつも屋内で執り行われますよね? 私としては、屋外のほうがいいと思います。だって手段はさておき、自然に帰り、自然とひとつになるのですから。

そこで、母の死を悼む儀式のようなものを行うことができれば、という想いで「Ancestress」を書きました。屋内ではなく、屋外のお葬式です。昨年の6月にMVを撮影しました。ようやく披露できることにワクワクしています。1カ月後には公開されるはずです(現在公開中)。弟にも出演してもらいました。だから、私たち家族にとっては屋外のお葬式という表現がぴったりですね。



─ご自身も母親でいらっしゃいますが、どのような気持ちでこれらの曲に取り組んでいたのですか?

ビョーク:いい質問ですね。そんなこと、いままで考えたこともありませんでした。母の死について考えるというよりは、音楽を通じて母の死に反応していたような気がします。それに多くのミュージシャンは、衝動に駆られてもとがめられないという特権を持っていますから。

私がいままで手がけた楽曲の多くは、自然で衝動的な反応のようなものを表現していたと思います。それはすべて、母と私のあいだに生じたものでした。ですから、私自身が母親であることはあまり関係ないと思います。でも、「Sorrowful Soil」の歌詞に“女の子は、体内に400個の卵を持って生まれる”という描写があるのですが、ここには私が母親であることがいくらか投影されているのかもしれません。とても美しいイメージです。だからこそ、この曲を通じて母の物語を表現したいと思ったのかもしれません。

雑誌や新聞の死亡記事って、事実の羅列のような印象を受けますよね? 「この人は何年に生まれて、この学校に通って、この仕事に就いて、あの人と結婚して……」のように、ちょっと素っ気ないというか。だから、死亡記事のコンセプトを膨らませて、もっと血の通ったエモーショナルなものを作りたいと思ったのです。「Sorrowful Soil」は、母の社会的側面を描いたものではありません。死亡記事は、どちらかというと男性的というか、父権制のイメージが強いです。私は、母権制的な死亡記事にしたかったんです。「母は、体内に400個の卵を持って生まれ、そのうちのふたつが人間になった。彼女はよくがんばった」のように。

その一方で、「Ancestress」は、母の人生の物語に焦点を当てた曲です。私の幼少期からはじまり、曲の終わりまで物語が時系列順で進みます。母のために、事実を羅列した冷たい死亡記事ではなく、人間的で感情のこもった死亡記事のようなものを意図的に作ろうとしました。母の外の世界というよりは、心の中の世界を描きたいと思ったんです。


Photo by Viðar Logi

─ニューアルバムには、息子のシンドリと娘のイザドラも参加しています。子供たちを参加させた理由は?

ビョーク:これも何かに対する反応だったのかもしれません。理由はひとつではないと思います。もちろん、新型コロナの影響もあります。コロナ禍の3年間、シンドリもイザドラもアイスランドにいましたので、子供たちには頻繁に会うことができました。それに加えて、ふたりとももう大人ですから、しかるべきタイミングが来たと思ったんです。母との別れは、私たちの家族にとって新しい時代の幕開けのようにも感じられました。シンドリもイザドラも、もう子供ではありません。ふたりとも、いろんなことをしています。歌も上手です。だから、成り行きとしてはとても自然に感じられました。

Translated by Shoko Natori

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