氷室京介が自己表現を確立するまで 当時のディレクターが回想



田家:歴史が何も語らなくなる、そんな日が来るまで。そんな日が来そうな今日この頃ですね。この曲を選ばれたのは?

子安:メッセージ性とポピュラリティを兼ね備えた凄い作品だなという意味でも、個人的にも凄い好きな曲ですね。

田家:僕も好きです。ロックのポピュラリティということを踏まえながら、これだけ高らかで誇らしげで、そして潔い。言いたい事をきっちり言っている。なかなか珍しい曲ですよね。この1989年には、6月に天安門事件があったり、ベルリンの壁が無くなったり、ヨーロッパで民主化の革命が起きたりというのが背景はありますよね。

子安:そういう時代背景があって、こういうアルバムが生まれるべくして生まれたと思います。

田家:作詞が氷室さんと松井五郎さんなんですが、氷室さんはBOØWYの時に詞をたくさん書かれていましたが、だんだん少なくなっていた。これについてはどう思われてましたか。

子安:個人的にはもっと書いてもらいたい気持ちは強くありましたね。松井さんはBOØWY時代から氷室さんともコミュニケーションをとっていたし、良いチームワークで作品が生まれてくるようにはなりましたね。

田家:私事ですが、『KYOUSUKE HIMURO since1988』という1988年から氷室さんのことを書いたりしている原稿が一冊にまとまった本が出ます。アルバムのインタビューも網羅したりしていて、改めて『NEO FASCIO』当時のインタビューを見直していたら、いろいろな発言があったんですね。「BOØWYは悪い言い方をすれば、商業ビジネス的なバンドだった」、「今回のアルバムは全部捨てるつもりで作った」、「こんなに売れると思わなかった」というのがありました(笑)。

子安:実際、いろいろな面からすごく評価してもらえたアルバムだったと思います。

田家:お聴きいただいたのは、1989年のアルバム『NEO FASCIO』から「CALLING」でした。1991年4月発売の3rdアルバム『Higher Self』についても伺っていこうと思うのですが、その中でシングルになったのが『CRIME OF LOVE』でした。このシングルについては当時どう思いましたか?

子安:『NEO FASCIO』の次にどういうものを世の中に伝えていくかという時に、この曲はドラマのタイアップという背景もありつつ、『JEALOUSYを眠らせて』という曲が1990年にシングルリリースされることになってヒットして。個人的にはカップリングの「LOVER’S DAY」という曲が私の中ではずっと名曲として残っているんです。この2曲が入ったシングル盤がものすごく成功して、ここからどうやってアルバムに向かっていこうかという時に、ちょっと間が空いたんですよね。たぶんライブやバンドサウンドを本人の次のテーマとしてアルバムを作る方向に向かってきて。『JEALOUSYを眠らせて』とは違った形で、アルバムのコンセプトが出てきて、この『CRIME OF LOVE』も生まれてきてアルバムへの道筋が作れたなと思いましたね。私の上司の石坂敬一さんが、この曲は素晴らしい! と太鼓判を押していて。石坂さんはすごくマイナー曲が好きで、日本人のヒット曲はマイナーが必要なんだ、イントロは短くマイナー調とよく仰っていて。ここまでのシングルは、『ANGEL』にせよ『SUMMER GAME』などメジャー調のものが多かったので、『CRIME OF LOVE』で石坂さんの好きなものが生まれてきたのかなと思いました。

田家:なるほど。聴いてみましょう、1991年2月発売「CRIME OF LOVE」。

Rolling Stone Japan 編集部

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