氷室京介が自己表現を確立するまで 当時のディレクターが回想



田家:この曲を選ばれたのは?

子安:月から見た地球という素晴らしい切り口というか。こういう曲って聴いたことなかったなあと思って。氷室さんの声の素晴らしさが本当に表現されてる曲ですね。

田家:この曲は2010年のツアーで、どういう曲なのかとステージで話をされていて。月から見た地球なんだ。肌の色や宗教の違い、性別や貧富でいがみ合っているのは月からでは見えない。とても美しい星に見えるだろうと。でも、アルバム発売時のインタビューではそういう話はしていなかったですよね。

子安:一切出してないですね。作品を出す時に、背景や狙いはあまり説明していなかった記憶があります。ちゃんと聴いてもらえれば分かる、その時に分からなくても10年後には分かるかもしれないという気持ちがあったんじゃないですかね。

田家:分かってくれる時には分かってくれる人が分かってくれる、皆に分かってもらえなくても良いと。もう一曲の「WILD AT NIGHT」を選んだ理由はなんですか?

子安:単純にライブのアッパーな部分を作って、作品としても見事な曲で。シンプルでストレートで長い間ステージでやり続けてきている。アルバムの中でも凄い重要な曲だったなと思って選びました。

田家:その両面が常にどのアルバムにもあるということですね。

子安:それが氷室さんのアーティストとしての深さは、まさにその両面にあると思いますね。



田家:FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」2020年11月氷室京介還暦特集Part3。ゲストに、当時の東芝EMIディレクター子安次郎さんをお迎えしました。今流れているのは、後テーマ曲で竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。

今週は『FLOWERS for ALGERNON』から『Higher Self』を辿ってきました。1988年から1991年です。日本はバブルの全盛期、株の史上最高値が記録されたのが、1989年12月ですね。日本中、特に東京や業界はお祭り騒ぎで浮かれていた時代です。当時のインタビューを読み直してみますと、ソロになって世の中や音楽に対しての向き合い方がバンド時代と変わってきたという話が随分出てきます。『ANGEL』が生まれたのは、最初のお子さんが生まれた時です。世の中のことがリアルに感じられるようになったとかそういう話があります。そして、当時「どんどん普通の人になっていきたいんだ」と彼は話していた。BOØWYは、バンドというジャンルの中ではまだまだ先はあったのでしょうが、上り詰めて極限まで行って、そこからピリオドを打って1人になった。『FLOWERS for ALGERNON』の元になった『アルジャーノンに花束を』という小説が、科学技術によって知能指数が天才に変わってしまって、人類で最高のIQになり、そこから衰えていく。その反動で元に戻っていくという、上り詰めて0に帰るという作品でした。当時、なぜ彼がこの小説をモチーフにしたのか改めてよくわかりました。商業的な成功が果たして人としての成功なのか? という話も当時のインタビューに出てました。来年2月に、私が1988年から書いた氷室さんのインタビューとかエッセイ、ライブレポートやレビューをまとめたものが本になるので、それを読み直しました。『KYOUSUKE HIMURO since 1988』、KADOKAWAから発売されます。そちらも楽しみにしていただけると嬉しいです。


田家秀樹(左)と子安次郎(右)


<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
https://takehideki.jimdo.com
https://takehideki.exblog.jp

Rolling Stone Japan 編集部

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