氷室京介が自己表現を確立するまで 当時のディレクターが回想

田家:氷室さんの還暦、どんな感想をお持ちでしょう?

子安:私の方が数年前に先に還暦を迎えていたんですけど、まさか氷室さんも還暦を迎えるとは。ちょっと早いというか、信じられないところもありますね。

田家:僕も、こんな風にラジオで「DEAR ALGERNON」を子安さんの思い出話とともに放送するというのは想像していなかったでしょうしね。初めて氷室さんとお会いになった時のことをどう覚えていらっしゃいますか?

子安:BOØWYがEMIに移籍してきて、担当ディレクターになるということが決まって。事務所の会議室で初めてお会いしました。

田家:その時はメンバーの中の1人という感じでした? それともある種のリーダーシップを持った存在に見えてました?

子安:その時はメンバーと事務所のプロデューサーとマネージャー、もう1人がいたと思うんですけど、塊の威圧感がありましたね。

田家:オーラの塊が4人いると。氷室さんがソロになってからも子安さんが担当されてきて、オリジナルアルバムが5枚、企画モノが2枚ということで、長い間氷室さんのパートナーとして作業をされてこられて。1988年の『FLOWERS for ALGERNON』から、1994年の『SHAKE THE FAKE』まで、どんな時間でした? 

子安:今振り返ってみると、1984年の年末からBOØWYとスタートしまして約10年ですよね。ものすごい中身の濃い、自分の人生の中でこんなに中身の濃い10年があったと、いまだに信じられない10年ですね。

田家:前半の5年と後半の5年はだいぶ違うものですか?

子安:流れとして、ものすごいスピード感で10年が流れていたので。その中で途中で振り返ったり、立ち止まって考えるということよりも、次をどうするかということを考えて10年を突っ走った気がしますね。

田家:なるほど。そんなに区切りがあるわけではないと。先週もこの曲を流しましたが、今週もかけたいと思います。子安さんをお迎えしてお送りします、1988年7月21日発売「ANGEL」。

Rolling Stone Japan 編集部

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