氷室京介が自己表現を確立するまで 当時のディレクターが回想



田家:改めてこの曲で思い出されることはありますか?

子安:さっきBOØWYからの10年間は勢いだったという話をしましたが、バンドが解散してソロ活動に入っていくスピード感がものすごくて。バンドの解散をしみじみと味わっている余裕もなく、その前にはすでにソロプロジェクトの準備もスタートしていたので、そのスタートラインがこの曲で。個人的な思い入れもものすごく強くありますね。

田家:いつ頃何がどういう形で始まったのかということは、公になっている資料と、実際とは重なり合わないことも多かったりして、お話をお聞きする中でも神経質にならないといけないこともあると思うんですが、「ANGEL」の曲のビジョンを伺ったのはいつ頃なんですか?

子安:バンドを解散する、そこからはそれぞれソロのプロジェクトを始めるんだ、というのを1987年の夏ぐらいには私自身は知っていたんです。でも、中身の具体的なところは多分年明けくらいから見えてきたと思いますけどね。

田家:解散を決めたときに次はソロだっていうのは、暗黙の了解としてあったという。

子安:4人ともすごく個性のある素晴らしいアーティストなので、時期がずれるにしてもソロのプロジェクトは始まるというのは理解していましたね。

田家:「ANGEL」のデモをお聴きになったのはいつ頃なんですか?

子安:メモを取っておけば良かったんですけどね……(笑)。多分年明け早々だったと思います。比較的早かったと思いますね。私がディレクターとしてやらせていただいる中で一番こだわっていたのが、シングルというもので。そういう意味では、『ANGEL』という作品が出て来たときは、まさに最初のシングルだなと確信しましたね。

田家:これは決め打ちのような形で、氷室さんの方から出されたものなんですか?

子安:テーブルに上がったときには、氷室さんとマネージャーの土屋さん、私の中ではとにかく最初にこれをレコーディングするんだという感じでしたね。

田家:アルバムの作業は、このシングルの『ANGEL』と同時進行だったんですか?

子安:本人の中での作品作りは同時進行で進んでいて、ただアルバムの楽曲というのはデモテープ段階ではまだそんなに早くは聞いていなくて。「ANGEL」のレコーディングでロサンゼルスに行きまして、その何日目かのスタジオが終わった後に、氷室さんの部屋で「DEAR ALGERNON」のデモを聴かせて頂いて。「ANGEL」はビート感の強いバンドの感じもあるソロ第一弾ということだったんですが、「DEAR ALGERNON」を聴いたときには、これでソロが確立されるなという感じがしましたね。

田家:BOØWYとは違うものがあるんだ、と。

子安:氷室京介というソロアーティストの作品だな、という感じがしました。

田家:アルバムのクレジットにスタジオ名が記されておりまして、オーシャンウェィスタジオ、スカイスタジオと。オーシャンウェィスタジオはロサンゼルスの有名なスタジオですね。

子安:BOØWYの時にはベルリンでもありましたけど、そこからある種の真逆というか。ロサンゼルスのスタジオでということになって、正直実際に行くまで自分の中でもどういう感じになるのか掴めなかったんですけど、あの街の空気感の中、レコーディングからレンタカーでハイウェイを飛ばしながらカセットで「ANGEL」を聴いた時に、これは間違いなかったな、街に溶け込んでるというのを感じました。

田家:ロサンゼルスを選んだのは、ギターのチャーリー・セクストンがいたからだという話をしていたこともありました。

子安:このレコーディングはポンタ(村上秀一)さん、ベースでプロデューサーの吉田建さん、キーボードの西平彰さんが日本から参加してくださって、ギターはチャーリー・セクストンが加わって。こちらから向こうに行ってやろうよとのことで、とにかく大正解だったと思います。音だけじゃなくて、いろいろな空気感が入りましたね。

田家:子安さんには今週と来週、担当アルバムの中からシングル以外の曲を選んでいただいております。『FLOWERS for ALGERNON』から、「STRANGER」。

Rolling Stone Japan 編集部

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