flumpool山村隆太が語る配信ライブのリアリティ「寂しいという想いをつないでくれる」

配信ライブならではのドキュメンタリー感

―落語家・立川談春師匠が「高座はドキュメンタリーだ」と言っていましたが、2曲目終わりの山村さんのMCがどこかぎこちなくて、観ていてもどこか居心地が悪くて、そこを含めてこの配信ライブはドキュメンタリーだなぁと。

まさにそうです。だから逆に後半から居心地がよくなって、感情が高ぶるところがでてきたんです。なぜだろうと思うと、寂しいとか、いつもと違うということをバンドも観ている人もみんなが共有したからだと思うんです。ドキュメンタリーでいうと負の部分、今の自分たちに足りていない部分をみんなが共有したという安心感という高まりが後半でてきたので、それが今らしいなと思いました。

―それがある意味コロナ禍のぎこちない、不慣れな日常につながっていく感じがしました。完璧を求める必要がなくて、この状況で楽しんでいいんだと。最後の曲「HELP」の時のたくさんの“ありがとう”というコメントにつながった気がします。

そうかもしれないですね。音楽がつないでくれるのって、うれしいとか楽しいとかもあるけど、寂しいという想いをつないでくれるのが音楽だと思うので。それが「HELP」という曲だと思うし、このライブ自体のテーマにもなりました。

―5曲目の「ちいさな日々」からの数曲は客席にステージが移動しましたね。しかもメンバーごとに小さなステージが用意されていましたが、それぞれが離れているという不思議な演出でした。

無観客配信ライブで客席に降りてっていうのはよくあるパターンだったので、一回やってみたいという気持ちと、でもそこで、メンバー同士の距離を置きたかったんです。まさにソーシャルディスタンスなんですけどそれが、結構やりづらくて(笑)。でも結果論なんですけど、それぞれが孤独な感じになったし、僕たちも配信を観ている人もみんな一人っていうのが無観客配信っぽいなって。


Courtesy of flumpool

―あの演出は今の僕らの社会を可視化してくれていましたよね。

無意識下にある不安をバンドって教えてくれるんです。みんな一人だけど一人じゃないよって、シンガーソングライターの方が言うより、バンドが言う方がいいなと思うのは、バンドの儚さ、いつまで一緒にやれるかわからないーーそういう儚さをもって活動しているからだと思うんです。寂しさを共有すること。それを強さに変えること。バンドだから胸を張って言えることなのかなと。

―バンドでよかったという想いに帰れたと?

ええ。むしろ一人なら途中でやめてました。「すいません」って(笑)。

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