flumpool山村隆太が語る配信ライブのリアリティ「寂しいという想いをつないでくれる」

マイナス40点の部分に目を当てる

―配信ライブを「半Real」という名前にしたのは?

いろんな意味があるんです。一番は『Real』っていうアルバムはお客さんの前、ライブで完成だってことをずっと思っていたので、無観客だし「半Real」だなぁと。

―それにしても、大阪フェスティバルホールという大バコで無観客というのは採算的にもリスキーですが、箱のチョイスは他に考えず?

フェスティバルホール一択でしたね。大阪からやりたいというのが強かったですし、本来、flumpoolは8月15日にフェスティバルホールでライブをやっているはずだったんです。自分たちも楽しみにしていた現実が奪われてしまったという場所でもあったので僕らとしても意味のある場所でした。そして、フェスティバルホールにはコロナによって変わってしまったものがあると思ったんです。僕らにとってもファンにとっても変わってしまったものの象徴に感じたんで。ライブハウスというアイデアもあったんですけど、どこで何を歌って感じるかの方が大事だと思ったんです。


Courtesy of flumpool

―withコロナの時代のリアルですね。

まさにその通りですね。それと、そもそもなんですが、今生きているということをカタチにしておくじゃないですけど、誰だって完璧でありたいなという気持ちで、でもそうではなく何かが足りない自分が常にいて、100点の毎日じゃなくて、60点くらいの毎日がずっと続いているんですよ。で、マイナス40点の部分に目を当てて、それを伸び代と思ったり、明日はプラス1点何を足していけるかということを大事にしていくことを歌ったのが、『Real』というアルバムなんです。今の自分たちが、この状況を作品として残しておかないと、言葉として、誰かに伝えておかないと、流れていってしまうものだ思ったから、この不完全なライブというものをしっかりやっておくべきなのかなと思いました。

―不完全なライブを完全なカタチで残してくれたことが、未来から見たら意味のあることだと思っています。

そうであって欲しいですね。

―さて、実際オーディエンスがいないステージに立った瞬間というのはどんなでしたか。

ファンのありがたみを痛感です。バンド4人でリハーサルスタジオみたいに演奏していて、それである程度成立するかなと高を括っていたところがあるんですけど、無理でした。目の前に人がいなくて、音楽をぶつける相手が何を感じてくれているのかがわからないと、自分自身に跳ね返ってこないというか。鏡みたいなもので、自分の表情、感情も湧いてこないんです。


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―投げても球が返ってこないキャッチボールをしている感じ?

そうです。極端に言えば、すごく怒ってるとか、つまらなそうにしている人がいる方がまだいいんです。自分たちを投影できるから。そこでキャッチボールが成り立つ方が、断然ライブだなと思います。お客さんがいないと、生きている感覚がないというか、観ている人も、そう感じた人が多いと思います。そういう違和感を残せたのは、今後につながっていくのではないかなと思っています。

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