7:同郷のスーパースター、
ドレイクに対する複雑な思い
ザ・ウィークエンドの名前が最初に世間に知れ渡ったのは、2010年にドレイクが手掛けるライフスタイルブランド、OVOのブログで曲が紹介されたことがきっかけだ。だが、そのブログの投稿はドレイクによるものではなく、ドレイクのマネージャーのオリバー・エル・ハティーブによるものだったという。ザ・ウィークエンドはローリングストーンのインタビューでこのように話している。
「最初のうちは、ドレイクは全く興味を持ってないようだった。プッシュしてくれたのはオリバーだったんだ」
その後、ザ・ウィークエンドはドレイクの『テイク・ケア』(2011年)に参加し、その知名度は飛躍的に向上。しかし、テスファイはドレイクのフックアップには感謝しながらも、複雑な思いを抱いていた。というのも、『テイク・ケア』に収録された「Crew Love」は、もともと『House of Balloons』のために書いていたものだったからだ。
ザ・ウィークエンドは2013年のインタビューでこのように語っている。
「とにかく飢えてた俺は、『好きなのを使ってくれ』みたいな感じで曲を差し出した。俺は自分のアルバムの半分近い曲を手放すことになった。正直辛かったよ。もちろん彼にはとても感謝している。彼が光を当ててくれなかったら、今の俺はきっとなかっただろう。それに、あらゆる出来事は起こるべくして起こるからね。今の成功を手にしていなかったら、俺がそんな風に考えたかどうかはわからないけど」
Drake - Crew Love feat. The Weeknd
8:2010年代のポップを定義した
ミックステープ三部作の功績
メジャーレーベルとの契約後、『Trilogy』という三枚組として再リリースされたザ・ウィークエンドのミックステープ三部作は、2010年代の音楽シーンを様々な側面から定義した。その事実については、ザ・ウィークエンド自身も誇りに思っているようだ。彼はローリングストーンの取材でこのように語っている。
「『Trilogy』だけで、俺は死ぬまでツアーを続けられたと思う。あの作品は間違いなくカルチャーを変えた。今後三部作の作品を発表するアーティストは、誰もがザ・ウィークエンドの影響を受けていることになる。あれ以降、多くのアーティストが以前よりもずっと早いペースで作品を発表するようになった。ジャスティン・ティンバーレイクは1年でアルバムを2枚出し、ビヨンセはサプライズアルバムを発表した。それに、名前は挙げないけど、ラジオを聞けば明らかさ。どの曲も『House of Baloons』の焼き増しだってことがね」
The Weeknd / House of Baloons
また、バラエティ誌の取材では、より具体的に彼のミックステープが影響を与えた曲について言及している。
「『House of Baloons』は文字通り、俺の目の前でポップミュージックのサウンドを変えたんだ。アッシャーの『クライマックス』を聴いた時は、『クソ、これはザ・ウィークエンドの曲じゃないか』と思ったね。すごく嬉しかったんだよ。自分が正しいことをやっていると思えたから。でも同時に、俺は怒ってもいた。歳を取るにつれて、あれはいいことだったじゃないかと気づけたんだけどね」
なお、「クライマックス」の共同ソングライター/プロデューサーであるディプロは、同曲がザ・ウィークエンドに影響を受けていることを認めている。
Usher - Climax
9:バスキアのように象徴的な存在へと
自分を生まれ変わらせたヘアスタイル
ザ・ウィークエンドのトレードマークのひとつと言えば、その特徴的なヘアスタイルだろう。ローリングストーンのインタビューでは、その髪型が80年代に活躍したニューヨークのグラフィティアーティスト、ジャン=ミシェル・バスキアにインスパイアされている部分もあると明かしている。
「象徴的で特異な存在として記憶されたかったんだ。特に何もせず、ただ伸ばし続けることにした。視界を遮るようになったら切るだろうけど、今はまだ平気なんだ。でも髪を切ったら、俺はどこにでもいそうな男に見えるだろう。それじゃつまらないんだよ」
ちなみに、ザ・ウィークエンドによると、髪の毛の手入れは時折ハードなシャンプーで洗うだけなので簡単らしい。とは言え、やはり不便な面もあるという。
「寝るときだね。起きた時に首が痛いってことも多いよ。あとは人目につきやすいってことだな」