10:テイラー・スウィフトお気に入りの
ザ・ウィークエンドの曲とは?
2015年に行われた第57回グラミー賞授賞式の後、ザ・ウィークエンドはサム・スミスが所有する8000万ドルの豪邸で行われたパーティーに出席した。そこで彼は、テイラー・スウィフトと初めて会話を交わしたという。
「彼女は俺の曲を知ってたんだ。彼女は『The Morning』(『House of Baloons』に収録)を何年も聴いてて、一番好きな曲のひとつだと言ってくれた。単にググっただけなのかもしれないけど、社交辞令のようには聞こえなかった」
また、ザ・ウィークエンドによると、テイラーはその後15分間ほど喋りっぱなしだったという。
「でも喋りながら、なぜかずっと俺の髪を撫でてるんだよ。相当気に入ったんだろうね、ちょっと飲み過ぎてたことは確かだけどさ。やめてくれとは言わなかったよ、正直悪い気はしなかったからね。そんな風にしているうちに、『もう飲むしかない』ってなったんだ」
11:ザ・ウィークエンドにとって最大のアイコン、
マイケル・ジャクソンに惹かれた理由
ザ・ウィークエンドの歌い方やステージでのパフォーマンスを観れば、彼がマイケル・ジャクソンから影響を受けていることは明らかだ。実際、ザ・ウィークエンドがシンガーを志したのはマイケルがきっかけであり、『Echoes of Silence』では「ダーティ・ダイアナ」のカバーも披露している。
The Weeknd - D.D.
しかし、なぜザ・ウィークエンドにとってマイケルは特別な存在になったのか。その理由のひとつは、ザ・ウィークエンドがエチオピア系移民二世のカナダ人であることが関係しているという。ローリングストーンのインタビューで彼はこのように明かしている。
「誰も覚えてないけど、(マイケルが作詞、作曲、ヴォーカルで参加した1985年のチャリティーソング)『ウィー・アー・ザ・ワールド』はエチオピアに捧げられた曲だったんだ。うちじゃエチオピア音楽と並んで、いつもマイケルの曲が流れてた。彼は俺たちのアイコンだったんだ」
U.S.A. For Africa - We Are the World
12:ザ・ウィークエンドを形成した
幼い頃のハイブリッドな音楽的志向
2010年代のポップを定義したザ・ウィークエンドの斬新な音楽性はどのように形成されたのだろうか。まず影響を受けたのは、幼い頃に聴いていたアリーヤやミッシー・エリオット、ティンバランド、ネプチューンズなどといった「R&Bの黄金時代」のアーティストだった。ローリングストーンのインタビューで彼はこのように語っている。
「俺のスタイルは90年代後半のシーンがベースになってる。セクシーなダウンテンポのバイブさ」
その後、彼は50セントなどのヒップホップに夢中に。そして、中学校にあがるとマリファナを吸い始め、ジミ・ヘンドリックスやレッド・ツェッペリンなどのロックも聴くようになったという。
「ピンク・フロイドのTシャツを着て、イヤホンでジニュワインを聴いてるような子どもだったんだ」
R&Bやヒップホップから、60~70年代のクラシックロックまで――そのハイブリッドな志向が、後にザ・ウィークエンドの特異な音楽スタイルを作り上げることとなったのだろう。
13:『House of Balloons』というタイトルは
当時のヒップで退廃的な生活から取られた
ザ・ウィークエンドのデビューミックステープであり、後の音楽シーンに絶大な影響を与えた『House of Balloons』。そのアルバムタイトルは、高校中退後に暮らしていたトロントの新興地域、65 Spencer Avenueでの生活にインスパイアされたものだという。
ローリングストーンの取材によると、当時のザ・ウィークエンドは「ストリートで一目置かれる存在」だった。ヒップなバーやクラブが立ち並んでいた同地域のシーンは、「俺たちが作ったようなもの」だという。
そして、その頃の彼は「女の子を招いてロクでもないパーティーを開き、祝福ムードを出そうと風船をたくさん持ち込ん」でいた。「House of Balloons=バルーンでいっぱいの家」というタイトルは、そこから取られたものだとテスファイは話している。