17:商業的失敗を経て、覚悟を決めて身を投じたポップスターへの道ザ・ウィークエンドがアンダーグラウンドのヒーローからメインストリームのポップスターへと転身することになった分岐点は、大ヒットメーカーのマックス・マーティンがプロデュースし、全米7位を記録したアリアナ・グランデとのデュエット曲「ラヴ・ミー・ハーダー」(2014年)だ。
Ariana Grande, The Weeknd - Love Me Harder
ザ・ウィークエンドがこの大きなチャンスを手にしたきっかけは、彼自身がレーベルに「ヒット曲を作る手助けをしてほしい」と申し出たこと。おそらく、前年にリリースした『キッス・ランド』の商業的な失敗を経て、覚悟を決めたところもあったのだろう。
「ラヴ・ミー・ハーダー」でのブレイクについて、ザ・ウィークエンドはこのように振り返っている。
「レーベルが俺にアリウープ(バスケットボールの用語。空中でパスをキャッチし、着地する前にシュートを決めること)を決めさせようとしてるような感じだった。あれは運命の女神が俺に微笑んだ瞬間だったと思う。活路を見出した気がしたんだ。そして見事に突破したのさ」
18:レノン=マッカートニーの黄金タッグに匹敵する盟友マックス・マーティンとのコラボのマジック「ラヴ・ミー・ハーダー」で初のタッグを組んだマックス・マーティンとは、その後、蜜月が続いている。同シングルの翌年2015年にリリースされたブレイクスルー作『ビューティー・ビハインド・ザ・マッドネス』では、全米1位を記録した「キャント・フィール・マイ・フェイス」を筆頭に、マーティンは3曲をプロデュース。続く『スターボーイ』でも3曲、そして最新作『アフター・アワーズ』では5曲でプロデュースを手掛けている。
The Weeknd - Can’t Feel My Face
そんなマーティンとの関係について、ザ・ウィークエンドはローリングストーンでこのように話している。
「彼はそういうタイプじゃないって聞いてたけど、マックスは俺たちと一緒に腰を据えてアイディアを出してくれた。コラボレートはしても、あんな風に積極的になってくれることは少ないんじゃないかな。すごく光栄だったよ。スタジオでの彼はまさに魔術師だった。マイケルとクインシー、ジョン・レノンとポール・マッカートニー、そういう黄金タッグのマジックが生まれてた」
19:稀代のポップスターが考える優れたポップソングの条件とは?アルバム単位で見ると、ザ・ウィークエンド最大のターニングポイントは『ビューティー・ビハインド・ザ・マッドネス』だろう。ローリングストーン曰く、「『トリロジー』や『キッス・ランド』の曲は雰囲気やムードを重視する傾向にあり、フックはコデインの深い煙に覆われていた」のに対し、『ビューティー~』は「より短くタイトでエネルギーに満ち」ていた。要するに、『ビューティー~』からのザ・ウィークエンドは、よりポップソングを書くことにフォーカスし始めたのである。
ザ・ウィークエンドはポップソングを書くことの難しさについて、ローリングストーンでこのように話している。
「『セルアウトしてポップをやればいいじゃん』なんて簡単に言うやつがいるけど、『ならお前がやってみろよ!』って言い返したくなるね。マジで簡単なことじゃないんだよ。最近のキッズがみんな作ってるような曲、あんなのは寝ながらでも作れるさ。ああいうのを聴いても、少しも感化されたりしない。女の子をこんな風に踊らせる曲なんて簡単に作れる(と軽くシミーダンスを披露)。ビートを乗っけてさ。マジで朝飯前だよ。でも過去に散々やったから、もうやりたくないんだ。じゃあポップはどうかと言えば、とんでもなくハードなんだよ」
ザ・ウィークエンドが言うには、優れたポップソングの条件はピアノだけで再現できることだという。
「(『ビューティー~』の)プロダクションはクールでぶっ飛んでるけど、あれは特殊効果にすぎない。全部削ぎ落としてピアノだけで再現できなきゃ、それは優れた曲だとは言えないんだ。俺もレディオヘッドは大好きさ。彼らは史上最高のバンドの1つだと思う。でも彼らの曲をピアノだけで再現できるかどうかと言えば、それは怪しいと思うね」
20:初コーチェラの失敗を糧に磨きをかけたポップスターとしてのパフォーマンスザ・ウィークエンドの初のアメリカ公演、そして初のメジャーフェス出演は、2012年のコーチェラだった。しかし、その出来はとにかくひどいものだったという。ザ・ウィークエンドはローリングストーンのインタビューでこのように振り返っている。
「ゾッとするほどにひどい出来だった。バックステージに戻った時点では満足してたんだけど、映像を観たら目を覆いたくなるほどひどかった。コメントを読むたびに死にたくなったよ」
そこで、ザ・ウィークエンドは自分のライブパフォーマンスに磨きをかけるべく、ダンスレッスンを受け始めた。また、「できるだけ多くショーをブッキングしてくれ。今のザ・ウィークエンドはスターじゃない。レジェンドはあんなに無様であるべきじゃない」とエージェントに申し出て、たくさんのショーをこなすことにしたという。
「俺は全身全霊でライブに臨むようになった。アーティストにとって一番の屈辱って『期待外れだった』って言われることだと思う。『あいつはビッグスターになれる可能性を持ってたのに』って言われることを、俺はずっと恐れてた。自分がいるはずの舞台に立っている誰かを見て、『あいつが俺よりも優れてるっていうのか? なぜだ? いくつかヒット曲を持ってるからか? ヒット曲なら俺にも書ける。今に見てろよ』なんてことを口にする自分を想像して怖くなってたんだ。(しかし、努力をした結果)ツアーの動員数は右肩上がりだった。みんな驚いてたよ、ヒット曲もない俺がRadio Cityで2デイズだなんてさ。ビヨンセのレベルではなくとも、そこに近づいているっていう実感があった。そして俺はそれを成し遂げたんだ」
『アフターアワーズ』
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