downyの青木ロビンが語る、結成20年目の新たな出発点「常に人とは違うことを」

亡くなった青木裕と、新メンバーSUNNOVAの貢献

一予期せぬ急逝によって、アルバムの構想にどういう影響が出ました?

ロビン:単純にギターがいなくなったので、自分の役割が非常にでかくなってしまって。そもそもあんなに上手く弾けないし、練習する時間も必要で。その間もライブはやっていて、バックアップしてくれたサポートのSUNNOVAくんがすごく前向きにやってくれてたんです。彼は中高生の頃にdownyを聴いてた人で、理解力がすごくある。サンプリングで裕さんの音を出すっていうライブ・スタイルだけじゃなくて、もっと新曲をやっていこうって流れの中で、ぜひ彼を正式メンバーにしたいという話をもともとしていて。でも、いきなりトラックメーカーがギタリストみたいな立ち位置でやるってけっこう難しい。そこを突き合わせると「こうなんだよね、やり直し、やり直し」みたいなのを含めて、時間がかかってしまったという感じですかね。

一新しいギターを入れようという考え方はなかったんですか。

ロビン:最初にメンバーと話して決めたのは、「ギタリストは入れないでおこう」っていう。彼より上手いギタリストがいたとしても、そこは僕らのこだわりで「ギターじゃない人を入れよう」と。単純に裕さんへの敬意というか。僕らの表せる愛情の一個かなっていう感覚ですかね。極端に言えば、入れるのはピアノでもヴァイオリンでも良かったかもしれないけど。結局僕のところでわりと作り込んじゃうので、彼の音をどう活かすのか、ライブでフィルターをどう使うか、見た目格好いいのかとかも含めてやりとりをずっとしていて。そういうのもすべて含めてメンバーとして一緒にやっていけるなという感じですね。

ーなるほど。

ロビン:ただ彼(SUNNOVA)が、制作の途中、去年の末に倒れちゃって。1週間くらい連絡がつかなくなって。集中治療室に入るほどの状況でして。結果的にただちに生命の危険があるとかの病気じゃなかったんですけど、制作を一緒にやるのは彼を追い込んじゃうことにもなりかねないので、(レコーディング参加は)ないって思ってたんです。でも本人から「やりたい」って意思があって。なのでペースを落としながらやっていこうかと。そういうのもあって制作も延びましたね。彼も病院から出られないんで、僕がもともと別でやってるzezecoというユニットの相方のマヌカンに、マニピュレーターのような形で3曲を任せたりとかしてました。


downy。左から柘榴(VJ)、秋山タカヒコ(Dr)、青木ロビン(Vo,Gt)、仲俣和宏(Ba)、SUNNOVA(Sampler, Synth)

一SUNNOVAさんが入ることによって、裕さんがいた頃と、サウンドやバンドのあり方って何か変わりました?

ロビン:僕は年下とバンドをやったことがなかったんです。昔のバンドからずっと自分が一番年下で、周りが年上っていう環境だった。その方がラクというか、文句言いやすいじゃないですか。「これやれ、あれやれ」って下の奴が一番うるせぇ、みたいなやり方、それに慣れてたんですけど。今回初めて年下が入って、ええカッコしいじゃないですけど、カッコいいオッサンに見せたいなっていうのはどっかにあるんで。すごい気を使ってますね。うん、もともと彼はdowny好きだし、「がっかりさせんとこう」みたいな。

一裕さんのギターはこのアルバムでもあちこちで使われているわけですか。

ロビン:はい。「砂上〜」は完全に彼がツルッと録ってるギターなんで。それを僕が一小節伸ばしたくらいで。「角砂糖」っていう曲のノイズも裕さんのギター。あとは本人の承諾を得てないんで具体的には言わないですけど、何曲かエッセンスとして入ってますね。裕さんの録りためてたノイズみたいなのがちょっと入ってたり。

一アルバム全体としては彼の追悼というか、そういうニュアンスはあったりするわけですか。

ロビン:いや、そこはそんなに。追悼というよりも、僕らバンド自体が一歩前に出るためのアルバムっていう位置づけですかね。裕さんに……聴いてもらいたいって気持ちはもちろんありますけど、それも叶うのか叶わないのかわからないし。僕らがもう一回、メンバーも変えて、止まってた時間をもう一回進めるというきっかけのアルバムっていう感じじゃないですかね。

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