1970年代にローリングストーン誌が愛したロック・アルバム20枚

Photo: (Gems/Redferns/Getty; GAB Archive/Redferns/Getty)


ハドソン・ブラザーズ『ハリウッド・シチュエーション』

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ハドソン・ブラザーズは、大雑把に言ってもジョナス・ブラザーズに匹敵するほどの音楽的な信頼性があった。彼らもジョナスと同じようにテレビ(バラエティ番組『ハドソン・ブラザーズ・ショー』と土曜朝の『ハドソン・ブラザーズ・ラズル・ダズル・ショー』、シンジケート番組『ボンカーズ』)を通じて有名になったバンドだ。彼らは70年代を働き通し、バーニー・トーピンのプロデュースでアルバムを出すこともあった。ビル・ハドソンはゴールディ・ホーンと結婚し(後に『ラバーン&シャーリー』でおなじみのシンディ・ウィリアムズと結婚)、現在はケイト・ハドソンの父親として有名である。

当時の本誌レヴュー:「タイトルと同じ状況にいるこのロック歌手はアドレナリンを放出させ、魅力的なメロディと生意気でダイナミックなロック、そして陽気なハーモニーが連続して出てくるので、最初に感じる強烈さがずっと続く。ハドソン・ブラザーズは、「ソング・フォー・ステファニー」や「スリー・オブ・アス」、驚くほどジョン・レノンふうのゆっくりとしたヒット・シングル「ソー・ユー・アー・ア・スター」で人がうらやむほどの輝きを見せている…。ハドソン・ブラザーズの3人は自分たちで作詞作曲を行い、ほぼすべての曲を演奏しており、明らかに音楽的に非凡な才能を有している。」by Ken Barnes、RS 179号(1975年1月30日)

マギー・ベル『クイーン・オブ・ザ・ナイト』

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マギー・ベルは、ギタリストがステージ上で不運な感電死を遂げた後に解散したスコットランドのロック・バンド、ストーン・ザ・クロウズのリード・ヴォーカルだった。ピーター・グラント(レッド・ツェッペリン)のマネージメントと、ジェリー・ウェクスラー(アレサ・フランクリン)のプロデュースにより、ベルはジャニス・ジョプリンの後継者になり得ると思われるくらい(ちょうど「ア・ウーマン・レフト・ロンリー」のカヴァーをしている)、驚くほど申し分ないソロデビューを果たした。しかし、次回作のアルバムでジミー・ペイジがギターを弾いた時でさえ、一度も商業的な成功を得られなかった。唯一ジョプリンを超えたのは彼女が生き続けたことくらいだ。

当時の本誌レヴュー:「ほとんどの人が忘れているような、ポップをブルースに変えるやり方をベルは知っている…。ベルがジョプリンのポルターガイストを避けることができるかどうか、私はいまだに疑問に思っている。幽霊というのは直接対面することで対処するのがいちばんだ。もしマギー・ベルがこれぐらい優れたアルバムをもう一枚作れば、彼女の問題は自分自身の評判との戦いに変わるだろう。」by Dave Marsh、RS 159号(1974年4月25日)

チェンバース・ブラザーズ『フィーリン・ザ・ブルース』

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異人種混成バンドのチェンバース・ブラザーズはソウルとサイケデリック・ロックを融合させたパイオニアで、1968年の最高のヒット・シングル「タイム・ハズ・カム・トゥデイ」で有名だ。しかし、彼らのスタジオ・アルバムはたいてい加工されすぎていた。彼らの無修正音源を聴くことが可能なライヴ・アルバムなどでは、「ロックとブルース、ゴスペルを融合した、彼らが人間の力だけで奏でる音楽が披露されている」。バンドは1975年にアルバム制作を止めてしまったが、定期的に再集結しライヴ・ショーを行った。

当時の本誌レヴュー:「(ひとつ)いつも明らかなのは、目を見張るほどの音楽性が彼らにあることとそんな彼らの音楽が手厳しく過小評価されていることだ。非常に刺激的で堂々としたウィリーの独特なブルース・ギターのスタイルは彼らのサウンドの基盤であり、ベースとセカンド・ギターのジョーによって彩りが与えられている…。しかし、彼らの作品を本当に形作る要素は、彼らの声やそのハーモニー、ワクワクさせるようなリズム、バスからテノールに代わるヴォーカル、手拍子が繰り出す情熱そして歪んだヴォーカルで始まることの多い曲のイントロ部分である。」by Gary von Tersch、RS 62号(1970年7月9日)

Translation by Shizuka De Luca

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