1970年代にローリングストーン誌が愛したロック・アルバム20枚

Photo: (Gems/Redferns/Getty; GAB Archive/Redferns/Getty)


ブルー・アッシュ『ノー・モア・ノー・レス』

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オハイオの4人組ブルー・アッシュは、パワーポップにまだ簡明な共通の呼び名もなかったほど、かなり早い時期にこのジャンルを作った存在だ。我々は当時このジャンルのことを「勢いのあるメロディとパワフルなリズム・コード、ハーモニーそして情熱が伝わりやすく気分も高揚させるような3分間の曲」と呼んでいた。しかし名称は別にして、本作品はキャッチーな曲が詰まったワクワクするようなアルバムだった。ブルー・アッシュは1979年まで活動を続けた(なお、その後何度か再結成ギグを行った)。後にベーシストのフランク・セシックはスティヴ・ベーターズに加入し、ギタリストのビル・キューピッド・バルトリンは2009年にがんで亡くなった。

当時の本誌レヴュー:「“ウェイスティング・マイ・タイム”や“ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン”、“アイ・リメンバー・ア・タイム”は、真の伝染性と魅力的なハーモニーそして美しく力強いコードによって私を驚嘆させた…。“ダスティ・オールド・フェアグランド”は怪しく目立たないディランふうのトラッド・フォークの警察官を荒れ狂ったロッカーに変身させる…。『ノー・モア・ノー・レス』は驚くほど強烈なデビュー作で、明らかに無限の可能性を秘めている。ブルー・アッシュがメジャーな逸材になることは間違いない。」by Ken Barnes、RS 139号(1973年7月19日)

ツイッギー『ツイッギー』

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おてんば娘ツイッギーは60年代を代表するファッション・モデルであり、1973年、デヴィッド・ボウイのアルバム『ピンナップス』のジャケット写真で彼の横に並んで登場した。それは一見すると彼女の歌手としてのキャリアを始めるのに十分なようだったが、彼女は実際に音楽的な才能があることを証明した。我々は彼女のデビュー・アルバムを「単なるうれしい驚き以上」のものであると評価した。アルバムの売れ行きが悪かった一方で、彼女はプロとして歌い続け、演じ続けた。特にブロードウェイ・ミュージカルの『MY ONE AND ONLY』のスター(トミー・チューンの相手役)としての活躍が有名である。

当時の本誌レヴュー:「オリビア・ニュートン・ジョンやメラニーを彷彿させる(だが前者の計算された従順さ、もしくは後者の過度に強調された傷つきやすさを除いたような感じの)彼女の声は、力強く自信に溢れている…。さらに彼女は歌の本質が備わったような素晴らしいセンスを持ち合わせている…。一般的なイージー・リスニング作品をはるかに凌駕するツイッギーの音楽には繊細さと生命力が存在する。どちらかといえばモデル業やファッション業界よりも不安定で変化の多い音楽業界において彼女の活躍を願う人もいる。」by Billy Altman、RS 225号(1976年11月4日)

フードゥー・リズム・デビルズ『バーベキュー・オブ・ドゥヴィル』

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フードゥー・リズム・デヴィルズは、バーベキュー・サンドウィッチを食べることについての騒がしい曲を好み、アートロックのうぬぼれを捨てた激しく騒々しいカントリー・ロックを作った。彼らのセカンド・アルバム(『ラック・ジョバーズ・ルール』の後)は、このバークレー出身バンドが開いた深夜パーティをディスクに収めたかのような作品だ。彼らは70年代を通して音楽作りを行ったが、バンドの解散後も音楽業界と広告業界で活動を続けた。ベーシストのリチャード・グリーンは有名なGAPのCM曲「フォール・イントゥ・ギャップ」を歌ったことで知られている。

当時の本誌レヴュー:「運よく手に入れたキャンディグラム(メッセージつきキャンディ)みたいなものがここにある。コマンダー・コディ&ヒズ・ロスト・プラネット・エアメンよりもはるかにくだらなく、あの伝説のアスリープ・アット・ザ・ホイールと同じくらい評判が悪い。イメージとメタファーが欠如し、欠点を補う社会的価値がまったくない。芸術的にも立派なものではなく、恥知らずにもパクリっぽい。長めの曲もなく、雑でうるさい。そう、ほとんど信じられないほど素晴らしいのだ。」by  Nick Tosches、RS 122号(1972年11月23日)

Translation by Shizuka De Luca

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