現代最高峰ジャズギタリスト、メアリー・ハルヴァーソンが明かす「実験と革新」の演奏論

メアリー・ハルヴァーソン

1980年生まれのメアリー・ハルヴァーソン(Mary Halvorson)は2000年代から徐々に頭角を現し、いつしか世界屈指のジャズ・ギタリストと認められるようになった。米国の権威あるジャズ雑誌ダウンビート誌は批評家投票で、昨年まで6年連続で最優秀ギタリストに選出。パット・メセニーやビル・フリゼール、カート・ローゼンウィンケルといった面々をも上回るほどの圧倒的評価を確立している。

フリージャズを含むエクスペリメンタルなシーンでの活動が中心のため、日本での知名度はまだ追いついていないものの、「天才賞」として知られるマッカーサー財団フェローシップなどの受賞歴も華やかだし、同業ギタリストからの信頼も厚い。ジュリアン・ラージも以前取材したとき、戦後のジャズギター史に革新をもたらした「特異点」の一人として、デレク・ベイリーやビル・フリゼールとともに彼女の名前を挙げていた。ここ数年は名門ノンサッチから意欲的なアルバムを発表しており、今年リリースの最新作『Cloudward』も様々なメディアで高い評価を得ている。

そんな彼女が今年6月、同じくマッカーサー財団フェローシップを獲得しているチェロ奏者トミーカ・リード率いるカルテットの一員として来日ツアーを回る。10年近く前にマーク・リーボウのバンドで来日したことがあるが、メアリーの演奏をスモールコンボでたっぷり聴ける機会は今回が初めて。そんな貴重な来日に際してインタビューを行なった。

メアリー・ハルヴォーソンの新しさは「既知」と「未知」が共存しているところにある。ヴィンテージ志向のエレクトリックギターを愛用し、そのオールドスクールな音色や響きにもインスパイアされながら、チューニングが突如急激にズレるようなエフェクトを自然に織り交ぜ、ギミックではなくフレーズの一部として機能するように組み込んでみせる。そういった他の誰とも似ていない独創的なギターワークや、巧みにデザインされた作曲術についても貴重な話を聞くことができた。入門編としても申し分のないインタビューになったと思う。


マッカーサー財団フェローシップの受賞インタビュー動画




―ギターを弾き始めたのはいつ頃、どういうきっかけでしたか?

MH:11歳の頃ね。その前に、7〜8歳のときはヴァイオリンを習っていた。友達がみんな習っていたから。なのに、父から「ヴィオリンよりもギターにしろ、その方がクールだぞ」と言われてしまって。それでも私は「友達と同じヴァイオリンが弾きたい」と言い張ったんだけど、結局は飽きてしまった。オーケストラで弾くのもあまり好きじゃなかったし。そんな時にジミ・ヘンドリックスを聴いて「こっちがいい」と思った。

それで11歳でギターに目覚め、最初は独学で弾いていた。ヴァイオリンである程度の音楽的素養があったから、ギターのタブ譜でジミヘンやビートルズの曲を弾いていたのを覚えてる。私が本気だと悟った両親が先生に習わせてくれて、その先生がたまたまジャズギター奏者だった。特にジャズに関心はなかったけど、素晴らしい先生で彼からジャズを学び始め、徐々に好きになっていって。父がジャズのレコードをたくさん持っていたので、コルトレーン、モンク、ミンガス、オーネット・コールマン、マイルスなどを私も聴くようになっていった。おそらくそれが私の最初のインスピレーション。そこから大学の先生だったアンソニー・ブラクストンを通じて、より実験的な音楽を好きになっていった。

―10代の頃に好きだった音楽は?

MH:色々好きだった。高校生の時はジャズもたくさん聴いていたけど、ラジオからかかる当時……つまり90年代半ばのポップス、ロックも。ギターでいうと、デレク・ベイリーのような実験的なものも聴き始めた頃。あらゆるタイプの音楽が好きだった。でも、一番はジャズだったと思う。

―世代的にオルタナティブ・ロックやグランジも聴いてたのでは?

MH:ええ。ニルヴァーナも好きだった。彼らはメルヴィンズの前座を務めたこともあったし。ほかにも特に好きだったのはディアフーフとか。

―自分で探し出して見つけたジャズの最初は?

MH:さっき話した父のコレクション以外だと……ウェス・モンゴメリーが最初に好きになったジャズギタリスト。あとはジム・ホール。でも、初めてジャズの世界に連れて行かれる感覚を知ったのはコルトレーンだったと思う。初期の影響ではオーネット・コールマンも。ジャズだと、なぜか影響を受けたのはギタリストではなくてホーン奏者ばかりだった。ミンガスもそう。



―ウェズリアン大学(コネチカット州)では何を学んでいたんですか?

MH:専攻は生物学。プロのミュージシャンになるつもりはなくて、音楽はあくまでも趣味だったから。ただ、優れた音楽プログラムがあるのも知ってたから、「音楽も少しできるな」と思って入学したところもある。そうしたら、1学期にアンソニー・ブラクストンの授業を通じて、音楽の世界にすっかり夢中になってしまって。その結果、私は科学の授業は全部落としてしまったので、科学のほうは1年目ですっかり断念(笑)。

―(笑)。

MH:でも、当時の私にとっては、ミュージシャンになろうだなんて非現実的で勇気のいる決断だった。私はリアリストなので、(音楽の道に進むのは)未知の世界に飛び込むみたいな感じだったから。そこで後押ししてくれたのがアンソニー・ブラクストンと、当時ギターの先生だったジョー・モリス。彼らが「君ならできる」と背中を押してくれた。

―アンソニー・ブラクストンやジョー・モリスのことはもともと知ってたんですか? それともたまたま受講したんですか? 二人ともエクスペリメンタルな音楽家なのでどうだったのかなと。

MH:アンソニーの音楽のことは以前から知っていたし、大学で教えていることも知っていた。でも、実際に彼と出会って教わるまで、彼の音楽の視野の素晴らしさを理解できてなかった。それくらい、彼は私自身の音楽とクリエイティビティの可能性に対する認識を大きく広げてくれた。それまで音楽というと楽曲を演奏するものだと思い込んでいたけど、アンソニーのやってることは「3つのオーケストラを衛星で繋いで演奏するための音楽」とか、「100本のチューバのための音楽」だったから(笑)。クレイジーすぎるでしょう? 彼は音楽ならなんだってできることを教えてくれたと思う。



ウェズリアン大学で教鞭を取るアンソニー・ブラクストン、大学ではラージアンサンブルも指導

―ジョー・モリスのことは?

MH:彼はウェズリアン大学で教えていたわけではくて、私が彼のファンだったから、彼のライブを観に行き、レッスンをしてもらえないかと頼んだのが最初。そうしたら、たまたま大学から車で20分くらいのところに住んでいたから、そこに通い詰めるようになった。彼はギタリストとしても大好きだけど、素晴らしい教師でもある。ジョーのレッスンを受けた人は大勢いて、彼の教え子に会うと私はいつもどんなことを教わったか尋ねることにしている。なぜなら人によって全然違うから。つまり、彼にはメソッドはなくて、その生徒ごとに必要なことを教えてくれるということ。それってすごいことだと思う。


ジョー・モリスらと演奏するメアリー・ハルヴァーソン(2013年)


ジョー・モリスとメアリー・ハルヴァーソンの共演作『TRAVERSING ORBITS』

―大学に入った頃から、彼らがやっていたような音楽に強い興味があり、自分でもやりたいと思ってたということですよね。

MH:そう。アンソニー・ブラクストンの存在も大きかったし、大学の環境そのものが非常にクリエイティブだったのもある。ジャワのガムランやアフリカン・パーカッション、電子音楽、実験音楽‥‥ジャズも少し。本当になんでもあった。あの大学ではメソッドを学ぶこと以上に、クリエイティブであることが奨励される、いろんなことに関心がある人間にとっては実にいい環境だった。

Translated by Kyoko Maruyama

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