ベルウッド・レコード50周年総括、三浦光紀が築いた才能溢れるニューミュージックの土台



田家:これを選ばれたのは?

三浦:オープニングのテーマが「ウララカ」。それの原曲が「はいからはくち」ですから。はっぴいえんどの松本さんの詞ですよね。松本さんがあがたさんと「はいから」って鈴木慶一さんじゃないですか。はっぴいえんどとはちみつぱいが一緒にやっているような感じですよね。オープニングのコーラスは慶一さんと細野さんと茂さんと大瀧さんがやっているんです。だから、バックコーラスすごいんですよ。

田家:現場にはいらっしゃった?

三浦:いました。

田家:わー! あがた森魚さんもそうなのですが、大塚さんもそうですし、加川さんも三浦さんがベルウッドからフォノグラムのニュー・モーニングになって、ずっと関係が続いていくわけです。1974年にベルウッドを退社して、一旦アメリカに行かれている。

三浦:そうですね。次はどういうレコード会社を作ろうかなと思って。

田家:ベルウッドをお辞めになった理由はあったんですか?

三浦:1つは当時フォーライフ・レコードというレコード会社が誕生する時が。

田家:前の年ですね。

三浦:そこの誕生までの間に僕関わっていたので、本当はキングレコードでやろうかなと思ったんだけどそれができなくて。それで僕は小室さんたちと一緒にやりたいなと思って辞めたんですよね。それと、やっぱり長田さんという僕の恩師がちょっと事情があってキングレコードを辞めなきゃいけなくなって、それもあって僕も一緒に辞めたという。キングレコードに不満があったわけではないんですけどね。

田家:で、帰国して、フォノグラムからニュー・モーニングを作られた。

三浦:今度は世界で通用するアーティストをニュー・モーニングではやりたいなと。ローウェル・ジョージがはっぴいえんどの時に日本人のアイデンティティを音楽の中に入れていった方がいいんじゃないかって言って、それだったら矢野顕子さんとか、喜納昌吉さんみたいなああいう人が世界で通用するんじゃないかなと思って。

田家:キングレコードはドメスティックな会社ですもんね。フォノグラムは外資だった。

三浦:フィリップスだったので、海外に販売網を持っていたし、海外レーベルをやっていたので世界への近道かなと思って。

田家:三浦光紀第二章が始まるわけですが、お話はここまでですね。5週間最後の曲はやっぱりこの人たちですね。はっぴいえんどで1971年11月発売のアルバム『風街ろまん』の「風をあつめて」。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE