ベルウッド・レコード50周年総括、三浦光紀が築いた才能溢れるニューミュージックの土台



田家:これぞスワンプ・ロックって感じですねーかっこいい。

三浦:本当にいいブルースシンガーですよね。

田家:「教訓Ⅰ」から『アウト・オブ・マインド』は3年経っているわけですもんね。その間に加川さんの中でもやりたい音楽が変わってきた?

三浦:変わったんでしょうね。僕から見ていると、ロックの方向に行っていた気がします。

田家:ハックルバックになるメンバーを起用したのは加川さんの中でこの人たちとやりたいと?

田家:僕と加川さんでたぶん決めたんです。茂さんを使いたいなと思って、それでたまたまさっき言った居候の2人がいたので、合わせるとどうなるのかなと思って。そしたらすごくいい感じで、この時茂さんはあまり表に出てこなくて、すごく歌を活かすギターをやっているんですよね。

田家:アルバムの中には中川イサトさんとか、村上律さんとかも加わっていて。あらためて思ったんですけどベルウッドの功績の1つに関西フォークのその後を見せてくれたことじゃないかなと思ったんですよ。

三浦:あーなるほどねー。ベルウッドを作って1年ぐらい経ったところで、ベルウッドに似た名前を名乗っている人たちがいるって聞いたんですよ。ウエストウッドだったかな。それがキングレコードの大阪支店に時々来て、ベルウッドのレコードを持っていくって言っていて。その人たちがたぶんディランにいた人たちだったんだろうね。福岡風太さんたちがそういう名前で、「第二ベルウッドだ」って言ってたみたいですよ。

田家:URCの人たちはまだ技術もない、ギターだけでも歌いたいことがたくさんあるんだって人たちを発掘して、そこでちゃんと音楽的レールを敷いて、才能あるミュージシャンに一緒にやりませんか? ってことでその後の音楽を作り上げた。

三浦:URCってあまりお金がなかったから、ほとんどアコースティックと弾き語りじゃないですか。僕はそれに色をつけるというか、サウンドを作っていくことによって、もっと彼らの音楽の領域が広がるなと思って、意識していいバックをつけたんですよね。

田家:「教訓Ⅰ」と「かかしのブルース」を比べると、そういうことなんだという答えがここにあるような気がしましたね。そういう中で三浦さんが選ばれた40曲、思いがけなかった曲があるのでお聴きいただこうと思います。1974年9月発売、ザ・ディランⅡのアルバム『この世を悲しむ風来坊に捧ぐ』から「追放の唄」。

Rolling Stone Japan 編集部

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