八神純子が日本人初全米女性ソングライター殿堂入り、その軌跡を辿る



田家:1982年2月発売のアルバム『夢みる頃を過ぎても』のタイトル曲「夢みる頃を過ぎても」。冒頭でお聴きいただいた今月の前テーマ「黄昏のBAY CITY」が1983年のアルバム『FULL MOON』に入っていたのですが、1983年はアルバムが3枚出てます。『LONELY GIRL』、『恋のスマッシュ・ヒット』、『FULL MOON』。シングルも1年間に4枚出ているんですね。デビュー5年でアルバムが7枚でシングルが16枚出ている。今だったらありえない。本当にアイドル歌謡そのもののようなリリースですね。なぜ今日この曲で終わろうとしたかと言うと、作詞が八神純子さんと川村尚さんなんです。冒頭で当時僕らがやっていた番組「デデと純子のミュージックトリップ」という番組の話をしましたが、川村尚さん、通称デデさん。彼と純子さんが喋ってたんです。大阪の方は川村龍一という名前で思い当たる方が多いと思うんですね。川村尚という名前で「ヤングおー!おー!」に出ていて、東京に出てきて番組をやっていた時期があった。で、また大阪に帰って川村龍一という名前で名パーソナリティーになった。そういう男性です。

川村さんは、学研の音楽雑誌「ビートポップス」の編集スタッフだった。フリーランスになって、DJになって。僕ももともと編集者ですから気が合って。僕より2つ、3つ上かな。「ミュージックトリップ」は洋楽の番組だったんです。川村さんは洋楽に詳しいし、僕も洋楽の番組を当時構成していました。で、純子さんがシンガーソングライターであるにも関わらず、台本のある番組で洋楽の話をしていた。彼女はそこで勉強したとよく言っていますけど、とても仲良いチームで楽しい番組だったんですね。アメリカに行ったりもしたんです。当時のラジオ番組はお金がありましたから15分のベルトの番組なのにリスナーを招待して、アメリカ旅行をしようと。アメリカ建国200年のときで「私とアメリカ」という作文を募集して、6人のリスナーかな。それと純子さんとか川村さんとスタッフ。1回目は僕連れて行ってもらえなくて、2回目はみんなで行ったという。アメリカ旅行に2回行っているんですよ。そういう番組でした。

で、川村さんがこの詞を書いている。川村さんは69歳で亡くなってしまいました。当時、僕は東京で仕事をしていましたから川村さんとは時々会う程度だったんですけども、このFM COCOLOで大阪のFM局で自分のレギュラー番組をやっていて、純子さんはアメリカの女性ソングライターの殿堂から表彰されて、それを祝う特集を組んでいる。この番組は川村さんに聴いてほしいと思いながら今月お送りしているので、今日最後の曲にさせていただきました。作詞・八神純子、川村尚、作曲は八神純子。1982年2月発売「夢みる頃を過ぎても」。

彼女が24歳、〈夢みる頃を過ぎても〉と歌っていたんですね。当時、女性の年齢はそんなふうに思われていたと聴くこともできるわけですが、夢みる頃をはるか過ぎても夢は叶うんだということが今回の彼女の全米女性ソングライターの殿堂からの表彰ではないでしょうか。

Rolling Stone Japan 編集部

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