八神純子が日本人初全米女性ソングライター殿堂入り、その軌跡を辿る



田家:流れているのは1979年7月に発売になったシングル「ポーラー・スター」ですね。デビュー前にそこまで彼女が期待されて、注目されて、高校3年生のときはチリ音楽祭というところに招待されて、向こうで歌ったりしているんですよ。そういう意味では本当に満を持して世に送り出された女性だったわけですけど、当時の時代は今ではいろいろ考えられないようなことがあって。高校を出たばかり、そんな若い女性シンガーソングライターがいる場所がなかなかなかったんです。アイドルがわりと力を持っている状態ですから、彼女もいろいろな狭間の中で悩んだ時期だったと思うんですね。こういう話は本来ご本人にお聞きしようと思っていたのですが、でもそれは客観的にもそうだろうなということがいろいろありました。

デビューアルバム『思い出は美しすぎて』が1978年6月に出ていて、先程の「思い出は美しすぎて」をタイトルにしたアルバムなんですけど。アルバムの中でオリジナル曲があまりない。オリジナルのアレンジをしていたのが、大村雅朗さんです。あらためて彼女のいろいろなアルバム、シングルを見てたりして、これも大村さんだったんだとあらためて思いました。「みずいろの雨」が大村雅朗さんということはわりと有名なんですけど、オリジナルアルバムの中で最初のシングル「雨の日のひとりごと」をリメイクしているのですが、これも大村さんなんですね。ボサノバの曲なのですが、とてもおしゃれなアレンジなんです。大村雅朗さんは松田聖子さんの仕事で評価が高いですけど、松田聖子さんのディレクターが大村さんを起用しようとしたきっかけは八神純子さんを聴いてだったという話を聞いたことがあります。そういう意味ではあらためてデビュー当時の八神純子も、違う光の当て方があるといいなと思ったりしながらヒット曲をお聴きいただこうと思います。

このシングルは「みずいろの雨」の後です。1978年の9月に「みずいろの雨」が出て、その次の次のシングル。今日は「みずいろの雨」はおかけしません。なぜかと言うと、当初は1週目の予定だった来週の放送の中で「みずいろの雨」が出てくるんです。これもなぜかと言うと、彼女に選曲のテーマをお願いしたんです。6つお願いしました。1つは洋楽を意識して書いた曲、洋楽に負けたくないと思って書いた曲、洋楽に勝ったと思えた曲。それから向こうに行ったから書けた曲。向こうの人に褒められた曲。今回の表彰に関係している曲。そういうテーマで選曲してください。全体的には私とアメリカということですとお願いしたら、「みずいろの雨」は「洋楽に負けまいと思って書いた曲」として出てきたんです。「えーそうだったんだ!」と思って、あらためて「みずいろの雨」と洋楽という話を来週お届けしようと思います。ですから今日はかからないのですが、他のシングルはいろいろかかります。

Rolling Stone Japan 編集部

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE