八神純子が日本人初全米女性ソングライター殿堂入り、その軌跡を辿る

4週間のテーマを決めて彼女にも了解いただいて、こういうことでやりましょうと話をしていたんですね。1週目は殿堂入り表彰を祝して、殿堂入りをどう思ったかということと、彼女がアメリカでどんな活動をしていて、彼女にとってのアメリカはどういう国で、自分の中の洋楽の夢はどんなもので、今どういう気分でいるんだろうというのがテーマだったんです。

2週目はアメリカに行く前、デビューしてから誰もが知っている純子ちゃん。ヒット曲がいっぱいありましたからね。その頃のことを辿って、それから3週目と4週目で日本に帰って活動を再開してからのアルバム3枚を2週に分けてやろうという4週間でした。

彼女の本格デビューは1978年の1月「思い出は美しすぎて」なんですけど、その前のキャリアもちょっとあるんです。プロデビューする前にレコードを出してたことがある。デビュー前に文化放送でラジオ番組を持っていた。彼女が喋って、もう一人男性がいて、彼のことは後ほどお話をしますけども、その番組の構成を僕がやっていたんです。本格デビュー前から彼女のことを知っていたりするわけで、ヒット曲がいっぱい出た当時のことは割とそばで見ていたので、今日はその話から始めて、こんなに立派になったんだという1ヶ月になればと思っております。この曲から始めることになりますね。1978年1月5日発売、20歳の誕生日に発売されました、本格デビュー曲「思い出は美しすぎて」。



田家:1978年の1月にこの本格デビュー曲「思い出は美しすぎて」がディスコメイトという、なくなってしまったレコード会社から発売されたんですね。でも、その前にキャニオンから2枚シングルが出ているんです。1974年に「雨の日のひとりごと」、1975年「幸せの時」。YAMAHAのポプコンの優秀曲賞と入賞曲です。彼女は1974年と1975年のポプコンに出ておりまして、みゆきさんと一緒だった時期があります。ポプコンと言えば、キャニオンレコードですからね。そういうデビューの話があったんでしょうが、高校卒業を待って、もっと本格的な形でデビューさせたいというYAMAHAの意向もあったんでしょうし、ご家族の考え方もあったんでしょう。卒業するのを待って、20歳の誕生日に出たのが「思い出は美しすぎて」なんですね。それまで彼女は名古屋から東京に通って、番組をやっておりました。

Rolling Stone Japan 編集部

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