八神純子が日本人初全米女性ソングライター殿堂入り、その軌跡を辿る



田家:1980年7月の「パープルタウン~You Oughta Know By Now」をお聴きいただいております。「パープルタウン」が出たのが1980年4月、アルバムが『Mr. メトロポリス』。彼女がデビューしたときに最初から自分のバンドがあった。メルティング・ポットというバンド名で。20歳になった日にデビューしたシンガーソングライターで、最初から自分のバンドを持っていたケースはあまりなかったですね。彼女自身がそうだったし、YAMAHAにミュージシャン志向の人たちがスタッフにいた、ちゃんとしたバンドで良い音のステージをやりたい。彼女をそういうシンガーソングライターにしたいというので、そういうデビューになりましたね。

『Mr.メトロポリス』というタイトルとか、メルティング・ポットとか、先程の「ポーラー・スター」、これは北極星ですからね。当時、アイドルでは扱わないようなテーマやバンド名、曲名がいろいろあって、彼女が当時から洋楽思考だったんだなと、あらためて思ったりもしました。1980年の4月、彼女は1回仕事を整理してニューヨークにホームステイに行った。ですから文化放送でやっていた「デデと純子のミュージックトリップ」という番組はデビュー前の1976年に始まって、「みずいろの雨」があって「ポーラー・スター」も出て、1番スター街道になったときに「私はアメリカに行きたい」ということで番組が終わった。帰ってきて出したのが、この「パープルタウン」なんです。

全米の「女性ソングライターの殿堂」から表彰されることを、もちろん彼女は思ってもなかったでしょうし、こういう形で報われることがある。神様のご褒美みたいなことじゃないかなと思ったりもしながら、キャリアを辿り直しております。「パープルタウン」、これはまさにニューヨークのことですからね。

1978年1月にデビューした20歳の八神純子さん。この曲は1980年7月ですからね。まだ1978、1979年と2年半しか経っていないのですが、どんどん曲調が変わり、歌い方もダイナミックになっていった。短期間の中でそういう変化を辿ったりしたんだなと思ったりしながら聴いております。あらためて驚いたことなのですが、「パープルタウン」が入っていたアルバムはベスト盤なんです。そのベスト盤の半分の曲が八神純子作詞・作曲ではなかった。YAMAHAのポプコンの歌をカバーさせられている。「させられている」なんて言っちゃいましたけど、そういうアルバムなんです。これがヒットして、半ば便乗した形でポプコンの他の曲も彼女に歌ってもらって、あわよくばというアルバムだったんじゃないかなと。推測ですし、当時のスタッフも知っているのであまり批判的なことは避けようと思うのですが、そういう時代があったんだなと思ったんです。

アイドルがやっぱり力を持ってましたから、竹内まりやさんも1978年にデビューしているわけで、顔がかわいかったり美人だったりすると、アイドル扱いみたいなところに業界が流れていった。その中で、私はちゃんと音楽をやりたいんですと思った方が、いろいろな形で苦労した時代でもあります。彼女もヒット曲なんだけれどもテーマとかメッセージを考えながら曲を選んだり、作詞家にお願いしたり自分の曲を書いたりという時代だったと思っていただけると、八神純子ヒットパレードも違った受け止められ方をするのではないかと思ったりもして、この曲をお聴きいただきます。1980年11月発売のシングル「Mr.ブルー~私の地球~」。

Rolling Stone Japan 編集部

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