八神純子が日本人初全米女性ソングライター殿堂入り、その軌跡を辿る



田家:流れているのは1981年3月に発売になったシングル「I’m A Woman」ですね。この曲が出たときのことはよく覚えています。あ、こういうことを歌うようになったんだという意味では、とても印象的でした。「ポーラー・スター」、「パープルタウン」、「Mr.ブルー~私の地球」が宇宙、都会、地球の三部作だとしたら、これは私は女よ、女性よっていうことをはっきり言った。この曲が出たときにレコード会社のスタッフと意見が食い違って、こういうことは歌はない方がいいよということを当時のディレクター、プロデューサーからが言われたという話は聞いたことがありました。まあ、ガールポップという言葉すらなかった時代ですからね。ガールズバンドはもちろん80年代後半にいろいろ出てきているわけで、女性がこんな風に私は女よと歌うと、まず反発される、足を引っ張られる、何、あいつというふうに見られる時代でもありました。80年代の始めというのはみんなが浮かれていましたから、楽しい楽しいというふうに日本中はお祭りになっているようなときに、こういうメッセージを歌って、そういう反発みたいなものもあったわけです。

今回の「女性ソングライターの殿堂」には正式な名前があります。「Women Songwriters Hall of Fame 」。つまり、女性ソングライターたちの栄光、名誉の殿堂なんですね。そこから表彰されたということで、1981年に23歳になったばかりで「I’m A Woman」と歌ったときの純子さん。当時はまだ純子ちゃんと言っていましたけども、純子ちゃんが今どんなふうに思っているだろう。当時の彼女にそのままでいいんだよということを伝えてあげたくなるような、そんな表彰だなと思いました。

80年代にアメリカへ取材に行ったりして、向こうの女の子たち10代、高校生とか若い女の子と話をする機会もあったりしたのですが、日本と何が1番違ったかと言うと、かわいいという言葉に対しての反発。「君かわいいね」って言うと、「バカにしないでよ」って言われる。prettyっていう言葉は向こうの10代の女の子たちの前では使っちゃいけないんだって、自分たちに対しての戒めとしてありましたね。girlって言われると、みんな嫌がる。私はそんな子どもじゃないっていうことが、ニューヨークとロサンゼルスぐらいしか当時知らなかったんですけど、大体みんなそうで。これは日本と明らかに違うなと思ったことでもありました。八神純子さんは日本にいたときに音楽的な主張があったり、自分の思っていることはこうなんですってはっきり言うタイプだった。でも、とてもあどけない人ですし、育ちの良い人ですから、そういうことを荒立てないで収めようとした。そのことが彼女の中でいろいろなストレスになったりして、その後80年代半ばにアメリカに活動を見出したんだろうなと、これは当時も思っていました。

今、日本でもジェンダーということが語られるようになって、80年代当時のみんなが当たり前だと思っていたかわいらしさとか女っぽさに対して、あれでよかったんだろうかという空気になっている。そういう中でこの1981年の「I’m A Woman」もあらためて捉え直されるといいなと思いながらお送りしました。

Rolling Stone Japan 編集部

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