Yogee New Waves 角舘健悟が語る、雑多な世界で見出した歌のバランス感覚

クロスオーバーする属性の楽曲が生まれた背景

─でも、実際はジャストにラップでもない、ポエトリーでもない、トラックはちょっとブラジリアンだったりもするし、幻想的な音処理もあいまって、属性がよくわからないクロスオーバーした面白さを引き出しています。

角舘:曲は確かにヴァラエティに富んでますよね。それはまあ僕が雑多な聴き方をしているからというのが大きくて。ジャズもパンクも……広くいろんなものを聴くんです。で、Yogeeでアジア・ツアーをして思ったのは、それっていわば人種の異なるジャンルの中でツアーをするわけじゃないですか、その中で自分を表現しないといけない。そこに通底しているものはなんだろう?ということの着眼点がそこにあるんですよね。その上で、表現するポイントは、それこそ愛とかこの時代を生きているという実感とかでしかない。それこそ雑多なんです。でも、東京という町に住んでいる自分としては、そういう雑多さも自分のリアルだと思っているわけです。古着好きだからハイブランドを買っちゃいけないわけじゃないでしょ? そういう中から出てくるもので勝負したいんです、ミュージシャンとして表現者としてね。



─今回のアルバムは、そのアジア・ツアーの成果のようなものでもある、ということなので、その体験によって改めて実感した東京に暮らす者としての雑多感を意識するようになり、それを曲や作品でも表現できるようになった、と。

角舘:例えば、それって好みにも現れているんです。自分の音楽を聴くハードル……これは好き、これは嫌い、とかっていう基準があるとすれば、「自分らしく自分の表現している」というだけで好きになっちゃう。その人の背後にあるものを想像するだけで聴くことに値する、みたいな感じになる。ただ、それは、そのアーティストのドキュメンタリー映画を見てもっと好きになっちゃう、みたいな感覚とはちょっと違って。そういうのはもう本当にラブなアーティストだけでいい。中学生の時に好きだったハイスタとかフィッシュマンズとか銀杏BOYZとかね。でも、僕は銀杏BOYZを聴きながらカウント・ベイシーも聴いちゃうの。たぶんそれって自分の体で実験しているってことなんだと思う。自分の体に何か(音楽)を入れてみて、みんなは「それとそれの食べ合わせは合わないよ」とかっていうような組み合わせでも、食べてみないとわからないし、実際に食べてみたら新しい何かが実感できるかもしれないでしょ。それを俺は、歌謡曲という日本人の心のようなもので形にしたいと思っているんですね。

─属性があって、そこに従っていた方が安心だしラクですよね、本来。でも、角舘さんは音楽にそういう対峙の仕方はしない。

角舘:そう。実際、僕がリスペクトしているバンドってもともとそうやって食べ合わせの悪いとされるようなものを混ぜて作品を作っていると思うんです。それと同じで、僕も角舘健悟しかやらないような組み合わせで曲を作っていきたいし新しい表現をしていきたい。その代わり、そういうことをやっていたら友達は減るのよ(笑)。だって、統一されたジャンルとして人とグルーヴしないから。「それが好きならこれも好きでしょ」っていうのがないから。だから、今回のアルバムも曲ごとの元ネタがないんですよ。何かと何かが合流してはいるんだけど、それが何と何との合体なのかとかは自分でもわからない。Yogeeってシティ・ポップだよねって言われたりするけど、それも当人としては全然わからないしね(笑)。

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