25位 ハーヴィー・デインジャー「Flagpole Sitta」(1998年)

Flagpole Sitta」もまた、カラオケ向きの楽曲だ。“自費出版の雑誌を出したいし、政治マシーンには怒りを感じる(バンド名のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに由来)”と、当時の世相を反映している。“テレビもいらない”というヒップスターの決まり文句も、90年代の終わりと共に聞かれなくなった。



24位 アリーヤ「Are You That Somebody」(1998年)

ティンバランドがプロデュースした最も極端でアヴァンギャルドな作品のひとつ。さらにアリーヤが、クールな歌声で正真正銘のポップに仕上げた。



23位 オアシス「Wonderwall」(1995年)

ノエル・ギャラガーは後に、「Wonderwall」という言葉に意味などないと認めている。誰にとっても意味不明だ。当時も今も、そんなことはどうでもいい。どんな場所でもこの曲が流れると、皆が調子はずれの歌で合唱し始めるパブと化すのだ。



22位 モブ・ディープ「Shook Ones Pt. II」(1995年)

クイーンズブリッジ出身のデュオによるヒップホップ版「Gimme Shelter」。プロディジーとハヴォックが、都会のヤバイ地域では死と隣り合わせの恐怖の中で生きている、と訴える。中途半端な悪党には味わえないリアルな感覚だ。モブ・ディープは、90年代半ばを代表するイーストコースト出身のラッパーの中で、最もハードなグループだった。彼らの確固としたヒット作は、当時も今も変わらずクールだ。



21位 スマッシング・パンプキンズ「1979」(1995年)

ビリー・コーガンによる、米中西部の郊外で夏を過ごす思春期の若者たちの葛藤をテーマにした讃歌。ジェームズ・イハのリバーブを効かせたギタートーンが印象的なサビには、コーガン嫌いであっても惹きつけられた。さらに、「仲の良かった」ペイヴメントがカバーして歌った曲としても有名だ。音速よりも、自分が想像しているよりも速く人生は過ぎるのだ。


Translated by Smokva Tokyo

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