史上最高のベーシスト50選|2020年ベスト

40位 ビル・ブラック

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エルヴィス・プレスリーの初期ベーシストであり、ザ・ブルー・ムーン・ボーイズ(プレスリーとギタリストのスコッティ・ムーアとのトリオ)のメンバーでもあったビル・ブラックは、時代を代表するプレイヤーとしては記憶されていなくとも、革新的だった彼のスラップベースのテクニックは、世界を変えたプレスリーのロックンロールに不可欠な要素だった。「ビルは世界で最もお粗末なベーシストの1人だった」サン・レコードのオーナーだったサム・フィリップスはかつてそう語っている。「ただ、スラップだけは最高だったんだ」。彼が生み出すアップライトベースの前のめりなサウンドは、プレスリーの初期のヒット曲「ハートブレイク・ホテル」や「ザッツ・オールライト」等において、ドラムの不在を感じさせないほど豊かなリズム感を生み出していた。「ハートブレイク・ホテル」におけるビルのプレイに夢中だったポール・マッカートニーのために、妻のリンダ・マッカートニーは彼がそのセッションで使ったダブルベースの所在を70年代に突き止め、彼の誕生日にプレゼントした。プレスリーの最初のB面曲となったカントリーの名曲「ブルー・ムーン・オブ・ケンタッキー」のレコーディングにおけるブラックの役割について、ムーアはかつてこう語っている。「ビルはダブルベースの弦を思い切り叩きながら、ファルセットであの曲を歌った」彼はそう話す。「あれこそビルの真骨頂だった。音源はバラードだったけど、ビルはテンポを上げて歌い、狂ったようなペースでベースラインを弾いてた。エルヴィスはそれをものすごく気に入ってたよ」




39位 キム・ゴードン

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インディー/オルタナロックのパイオニアとして脚光を浴びた全盛期においても、アート色の強いミュージックビデオやチューニングを無視したギターのレイヤー等をトレードマークとしたソニック・ユースは、シーンの王道からはかけ離れた存在だった。中でもキム・ゴードンのベースは、バンドのアイデンティティの重要な部分を占めていた。80年代前半にソニック・ユースを結成した時、彼女は一度もベースを弾いたことがなかった。自身が認めているように、彼女のスキルは達人の域には程遠い。しかし、破壊した上で再構築されたギターを使用するなど、あらゆる面で実験的であろうとするバンドのヴィジョンに、彼女の直感的なスタイルは見事にマッチしていた。「私のミニマルなアプローチはバンドの音楽性にフィットしてた」彼女はそう話す。「サーストン(・ムーア)がメロディを弾く曲では、ただルート音を弾いたこともあった。私はテクニカルなプレイヤーになることを求められていなかったの」。初期のダークな「ブレイヴ・メン・ラン(イン・マイ・ファミリー) 」、キャリアの絶頂を迎えた90年代の代表作『ダーティ』(「ユース・アゲインスト・ファシズム」「シュガー・ケーン」)、そして憂いを増した後期の「ジャムズ・ラン・フリー」に至るまで、近づいてくる地下鉄を思わせるゴードンのシグネチャーサウンドとグルーヴは、バンドのあらゆる作品で耳にすることができる。




38位 ピノ・パラディーノ

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2002年にジョン・エントウィッスルが突如この世を去った時、ザ・フーは地球上のあらゆるベーシストをヘッドハンティングできたに違いないが、彼らはピノ・パラディーノに白羽の矢を立てた。ウェールズ出身の彼は、過去にジェフ・ベックやエルトン・ジョン、ジョン・メイヤー、ドン・ヘンリー、B.B.キング等の作品に参加していた。しかし彼の主戦場はR&Bであり、ディアンジェロが2000年に残したマスターピース『ヴードゥー』、同年に発表されたエリカ・バドゥの『ママズ・ガン』等にこそ、彼の真骨頂が発揮されている。両作におけるパラディーノのスムーズでシンコペーションの効いたグルーヴは、彼のヒーローで60年代のモータウンのレコードに数多く参加したジェームス・ジェマーソンを彷彿とさせる。キャリア史上最大の機会となったザ・フーへの加入のほか、彼はナイン・インチ・ネイルズやサイモン&ガーファンクルのツアーでもベースを弾いている。「ザ・フーに加入する話が来た時、ディアンジェロやエリカ・バドゥと仕事をしていた僕は、自分のスタイルを大きく変えないといけなかった」彼はそう話す。「彼らのマネージャーにこう言われたんだ。『ジョン(・エントウィッスル)が死んだ。3日後にハリウッド・ボウルで開かれるコンサートで弾けるか?』ってね。当然引き受けたけど、それが何を意味するのかを後になって理解したんだ。ピート・タウンゼントの指示はこうだった。「好きなように弾けばいい、ただし爆音でな!」




37位 ジョン・マクヴィー

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前人未踏の50年というキャリアにおいて、文字通り波乱万丈の道のりを歩んできたフリートウッド・マックにおいて、オールドスクールのロックの手堅さとカリフォルニアらしいスムーズなグルーヴを融合させ、思いやりのある性格でも知られるジョン・マクヴィーは、まさにバンドの精神的支柱というべき存在だ。60年台半ばにジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズのメンバーとして活動を開始した彼は、その後フリートウッド・マック(バンド名の一部は彼の名前からきている)に加入し、ジャムバンド色が強かったピーター・グリーン主導の時代から、大ブレイクを果たしたバッキンガム&ニックス期に到るまで、ドラマーのミック・フリートウッド(彼の名前もバンド名に反映されている)と強固な絆を育んできた。「オウン・ウェイ」や「リアノン」等の大ヒット曲には、レイドバックしたロサンゼルスのバンドにはない確かなタフネスが宿っていた。音楽ドキュメンタリー『Classic Albums』の『噂』のエピソードでは、フリートウッドがマクヴィー作の「オウン・ウェイ」のプレイバックを聴きながら「ジョン、お前はモンスターだ」と賛辞を送っている。「ザ・チェイン」でのアイコニックなベースブレイクは、一度聴けば二度と忘れない強烈なインパクトを残す。「キックにピッタリと音を重ねることを常に意識している」マクヴィーはそう語っている。「ミックには俺の考えてることがわかるし、その逆も然りだ。それが俺たちのグルーヴを支えてるんだよ、多分だけどね」


Translated by Masaaki Yoshida

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