史上最高のベーシスト50選|2020年ベスト

32位 スティング

Peter Noble/Redferns/Getty Images

スティングの卓越したソングライティングスキルと歌唱力は誰もが知るところだが、彼のベーシストとしてのテクニックは見過ごされがちだ。元ザ・ポリスのフロントマンは弾きながら歌う方法を学ぶにあたって、ベースのパートが聴き取りやすいようレコードを78rpmで聴いていたという。「それまではあちこちのクラブでギターを弾いてたんだけど、ある人が手作りのベースを貸してくれたんだ。見た目といい大きさといい、まさに僕の好みにぴったりだった。その時にベースボーカルをやろうと思ったんだ」彼はBass Player誌にそう語っている。「ビートルズのポール・マッカートニーのパートを弾きながら歌う練習をしてたよ」。ニュー・ウェーヴとレゲエを融合させたザ・ポリスにおいて、エモーショナルでメロディックな彼のベースプレイは、バンドの音楽性の柱となっていた。「見つめていたい」や「ロクサーヌ」では、アンディ・サマーズのギターリフを際立たせつつも、耳に残る印象的なベースラインを弾いている。彼は長年にわたって音楽的挑戦を続けており、2018年に発表したシャギーとのコラボレートアルバム『44/876』では、センスに満ちたダビーなプレイでレイドバックした楽曲のムードを支えている。「建物の屋根から差し込む眩い黄金の光が、そのベースプレイヤーを照らし出してた」ポリスのドラマーのスチュアート・コープランドは、1976年に初めてスティングのパフォーマンスを観た時のことをそう振り返る。「当時のドラマーはみんなそうだったけど、僕は彼の歌唱力よりもベーシストとしてのスキルに惚れたんだ」




31位 バーナード・エドワーズ

Ebet Roberts/Getty Images

「君のレコードコレクションの中身が何であれ、金曜の夜のお供だけは必須なんだよ」シックのバーナード・エドワーズは1979年にそう語っている。ジャズとクラシックの知識に裏打ちされたスタイルでディスコにおける最重要ベーシストとなったエドワーズは、バンドメンバーで古くからの友人であるナイル・ロジャースと共に、あらゆる瞬間を金曜の夜へと変貌させるクラシックの数々を生み出し、70年代後半から80年代にかけて世界中のダンスフロアを熱狂させた。彼の参加作が「グッド・タイムズ」(ヒップホップ史上初のメインストリームヒットとなった「ラッパーズ・ディライト」をはじめ、これまでに最も多くサンプリングされたベースラインのひとつ)1曲のみだったとしても、彼は本リストに登場していただろう。しかし、彼はシックの代表曲である「おしゃれフリーク」「愛してほしい」「エヴリバディ・ダンス」等において、ソングライター兼プロデューサーとしてもクレジットされている。またシスター・スレッジの「ウィ・アー・ファミリー」、ダイアナ・ロスの「アイム・カミング・アウト」、マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」や「マテリアル・ガール」等のダンスポップのクラシックでも、エドワーズは体が自然と動くようなキラーリフをプレイしている。多くのベーシストが裏方に徹するのに対し、自然体で常にスタイリッシュなエドワーズはスポットライトを浴びた。彼は1996年に43歳でこの世を去ってしまったが、彼が残した楽曲の数々は、今も結婚式やパーティーのサウンドトラックとして世界中で愛され続けている。




30位 ボブ・ムーア

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超一流のセッションミュージシャン集団、ナッシュビルAチームの主要メンバーであるボブ・ムーアは、ジョージ・ジョーンズやボブ・ディランの作品でのアップライト・ベースを弾いている。洗練されたスタイルで知られるムーアのほか、チャーリー・マッコイやバディ・ハーマン、レイ・エデントン、ハーガス’ピッグ’ロビンス等のセッションの達人たちは、50年代から60年代にかけてパッツィー・クラインやチェット・アトキンス、ブレンダ・リー等の作品に参加し、ピアノ主体のポップやジャズをカントリーと融合させた。今や全米屈指の音楽都市となったナッシュヴィルのイメージに、彼らは大きく貢献している。「いつもピッグのそばに座って、彼の左手の動きを研究してた」ムーアはそう語っている。「やがて彼の動きを予測して、私は全く同じタイミングで手を動かせるようになった」。ロジャー・ミラーの「キング・オブ・ザ・ロード」の冒頭を飾る軽快なベースラインは、生涯を通じて1万7000以上のセッションに参加したとされるムーアの仕事のごく一部に過ぎない。彼のアプローチは、カントリーというジャンルにおけるベースの役割を完全に変えてみせた。「当時、ベーシストはバンドにおけるコメディアンと見なされていた」1940年代にナッシュビルでキャリアを開始した頃について、ムーアはそう話している。「私は異質な存在だった。れっきとしたプレイヤーだったからだ」




29位 ティナ・ウェイマス

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トーキング・ヘッズの名を世に広めた1977年発表のシングル「サイコ・キラー」では、デヴィッド・バーンが歌い始める前から不穏なムードが漂う。ティナ・ウェイマスが弾いたそのフレーズは、ロック史上最も印象的なベースラインのひとつだろう。狂気と畏怖を描く同曲の冒頭を飾るベースソロの8秒間は、後に音楽史に名を刻むバンドのキャリアのスタート地点となった。バーンの功績ばかりが評価されがちだが、ウェイマスはトーキング・ヘッズのソングライティングにおいて不可欠な存在だった。正式にクレジットされていないケースもあるが、彼女の存在はバンドのあらゆる面に風通しの良さをもたらしていた。バンドのドラマーであり、彼女の夫として40年間寄り添い続けているクリス・フランツはこう語る。「ティナがいなければ、トーキング・ヘッズは全く別のバンドになってたはずだ」


Translated by Masaaki Yoshida

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