ザ・バンドを巡る「ドラッグと交通事故と死」、実人生とかけ離れた虚構の音楽物語

ザ・バンド 左からリヴォン・ヘルム、ガース・ハドソン、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル (C)Robbie Documentary Productions Inc. 2019


ジョー・ザガリーノというエンジニアの行方

ザ・バンドというグループが世に現れた時、時代はサイケデリックの喧噪の中にあった。だが、ニューヨーク郊外のウッドストック村から現れた五人はまったく違うアティテュードを携えていた。古めかしいスーツを着込み、近隣の住人達と一緒に撮った記念写真をアルバムのジャケットに飾っている。ドント・トラスト・オーヴァー・サーティーと叫ぶ若者文化ではなく、アメリカ音楽の歴史に敬意を払いつつ、新しい寓話を生み出していく。そういう賢人達が現れたように思われた。

サイケデリックが過ぎ去り、ロック・ミュージシャンが内省に向かう1970年代には、ウッドストック村の賢人達はアメリカン・ロックの中心的な存在となった。周辺には多くのミュージシャンが集まり、豊かなコミュニティーを形成していた。たくさんの名盤が生み落とされた。僕がロックを聴き始めたのはそんな頃合いで、ザ・バンドは最も影響を受け、最も敬愛するグループになった。崇拝していたと言ってもいい。

大学時代にはバンドで彼らの曲をたくさん演奏した。僕が音楽業界に入ったきっかけは、大学時代に音楽雑誌の譜面を書くバイトを始めたことだが、音楽教育を受けていない僕がそんな仕事にありつけたのも、ザ・バンドのお陰だった。彼らのライブ・アルバム『ロック・オブ・エイジズ』(1972年)のホーン・セクションを加えた演奏をスコアにして、ジャズ研の管楽器奏者数人に手伝ってもらって、ライブで演奏したことがあった。そのために幾晩もかけて、譜面を書き続けた。そこで得たスキルだったのだ。



サウンド・エンジニアリングに僕が強い興味を持つようになったのは、ザ・バンドの2ndアルバムがきっかけだ。楽器や歌の魔術的とも言える混じりあいやほとばしるエネルギー、がっしりしたボトムが素晴らしく、このザ・バンドの2ndの音こそはロック・サウンドの理想だと10代の頃から考えてきた。だが、そこにはひとつ謎があった。クレジットされているジョー・ザガリーノというエンジニアの行方だ。彼はジェシ・デイヴィスの『ウルル』、ジーン・クラークの『ホワイト・ライト』といった名盤でも素晴らしいサウンドを作り上げたが、1970年代半ばに姿を消してしまう。

そもそも、彼はどういう経緯で、ザ・バンドのエンジニアになり、最高傑作の誉れ高い2ndに貢献することになったのか? 情報が何も得られないまま、何十年もの時が過ぎていた。



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