ザ・バンドを巡る「ドラッグと交通事故と死」、実人生とかけ離れた虚構の音楽物語

ザ・バンド 左からリヴォン・ヘルム、ガース・ハドソン、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル (C)Robbie Documentary Productions Inc. 2019


表裏一体だったザ・バンドの「マジック」と「悪夢」

リック・ダンコにインタヴューしたのは1978年の来日時だ。僕はまだ大学生だった。美大の女の子とコンサートを観に行ったのを憶えている。だが、最も印象に残ったのは、ベースを弾きながら歌うダンコが小節のアタマの一音をしばしば弾き損ねていたこと。これがザ・バンドのメンバーの演奏か?と思った。その夜のデートは盛り上がらなかった。

渋谷のホテルでのインタヴューは、クラブの後輩に通訳をしてもらった。サインしてもらったLPは残っているが、ダンコの言葉は何も憶えてない。唯一、憶えているのは、ダンコが中座して、バスルームに入っていったことだ。10分くらい待たされた。帰り道、アメリカ育ちの後輩が「あれ、コカインやりに行ったんですよ」と教えてくれた。「急に元気になって、戻って来たでしょ」と。

ザ・バンドが抱えていたドラッグの問題はそんな風に僕のリアルな記憶にも残っている。思い起こされるのは、そのことばかりだった。

ザ・バンドの最良の時期は、最初の二枚のアルバムに刻まれている。1970年代の彼らは墜落しそうになり、何とか態勢を立て直し、飛行を続けているエアプレインのようなものだった。熱烈なザ・バンド・ファンだった僕は、70年代の半ばにはそのことに気づいていた。ラスト・ワルツ・コンサートに関しては、もう醒めた目で見ていた。映画は観に行かなかった(後にヴィデオで確認した)。サントラは買ったが、ほとんど聴かなかった。お祭りみたいなコンサートやって、解散なんておかしいじゃん。すべてがフェイクだと思っていた。

だが、ザ・バンドは始まりからして、五人のミュージシャンの実人生とはかけ離れたフェイク〜虚像的な存在だったのだろう。彼らは森に住む賢人達ではなかった。最高傑作の2ndは、ロサンゼルスの豪邸の陽光溢れるプールサイドでレコーディングされている。しかし、レコーディングが終わると、彼らのモノクロのポートレイトは地下室やぬかるんだ道で撮影された。ザ・バンドのイメージは、極めて映画的に計算され、構成されたものだった。


(C)Robbie Documentary Productions Inc. 2019

五人が集まった時に生まれたアンサンブルは奇跡としか言いようがなかった。ザ・バンドに影響を受けたミュージシャン、カヴァーを演奏するミュージシャンは数多いが、あのムード、あのグルーヴが再現されたことはない。解散後のメンバー達のプロジェクトも同じだ。何かが決定的に欠けている。

ザ・バンドというグループとともに、そんな高みに昇ってしまったがゆえに、メンバーのひとりひとりは常人が抱え切れないものを抱えた。バンドのマジックとバンドの悪夢は表裏一体だった。ロビーはそこから逃げ出した。ザ・バンドの凋落は3rdアルバムの『ステージ・フライト』から始まるが、ステージ・フライトとはミュージシャンがステージで「あがる」こと。怖くなって、手が震え、足がすくむことを指す。ロビーのステージ・フライト〜畏れとは何だったのか、それをこの映画はまのあたりにさせる。ザ・バンドの活動期間には生まれてもいない若き監督が撮ったからこそ、若き日のロビーの姿がするっと裸にされたように、僕は感じた。

手放したら最後、二度と手に入らないものを五人は作り上げていた。でも、仕方なかったんだ。仕方なかったんだよ。この映画のロビーは何度も何度も、そう繰り返しているように見える。仕方なかったんだ。許して欲しい。僕達は友達だった。それは変わりない。リヴォンにそう語りかけているようにも見える。いや、それもまた映画的に構成されたザ・バンドの物語の一部なのかもしれないが。


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『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』

(原題「ONCE WERE BROTHERS:ROBBIE ROBERTSON AND THE BAND」)
2020年10月23日(金)より角川シネマ有楽町、渋谷WHITE CINE QUINTOほか全国順次公開
(C)Robbie Documentary Productions Inc. 2019
ホームページ:https://theband.ayapro.ne.jp/

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