ザ・バンドを巡る「ドラッグと交通事故と死」、実人生とかけ離れた虚構の音楽物語

ザ・バンド 左からリヴォン・ヘルム、ガース・ハドソン、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル (C)Robbie Documentary Productions Inc. 2019


ドラッグのせいで、みんながバラバラになっていった

ロビー・ロバートソンがジョー・ザガリーノの死を知っていたかどうかは分からない。たぶん、今もって、知らないままなのではないかと思われる。

だが、ザガリーノが死んだ1972年には、ザ・バンドのメンバーの誰かが同じように死んでも不思議はなかった。このままでは誰かが死ぬ。ロビーはそれを避けたかった。そのためにウッドストックからロサンゼルスへの移住を提案した。1976年にはラスト・ワルツ・コンサートを企画して、バンドそのものを終らせてしまった。

ロビーが勝手に終らせた。終らせる必要などなかったのに、というのがリヴォン・ヘルムの立場だった。映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』はあくまでもロビーの側から描かれた物語だ。家族と過ごすために、ロックンロール・ライフから脱落したロビーの言い訳だらけ。天国のリヴォンから見れば、そう映るに違いない。だが、ロビーは本当に怖かったのだ、逃げたかったのだということを僕はこの映画を見て、すっと納得するに至った。

ドラッグに加えて、交通事故も大きな畏れとしてあった。ロビーの妻、ドミニクの証言を添えて、そこをクローズアップしたことで、この映画はリアリティーを放っている。ザ・バンドとして成功し、大金を手にすると、リヴォンやリックやリチャードは高級車を買って、ウッドストックの森の中をぶっ飛ばすようになった。もちろん、アルコールやドラッグでハイになりながら。ザ・バンドの五人はサイケデリックに背を向けた、思慮深い賢人達のように見えていた。だが、彼らのリアル・ライフはそうではなかった。


(C)Robbie Documentary Productions Inc. 2019

映画を見ながら、僕は登場人物の中の二人には会ったことがあるのを思い出した。一人は最初の二枚のアルバムのプロデューサーで、その後もザ・バンドに協力し続けたジョン・サイモン。もう一人はリック・ダンコだ。

ジョン・サイモンは1992年にニューヨークで会った。彼の20年ぶりのソロ・アルバム『Out On The Street』のリリース時にインタヴューしたのだ。サイモンは友好的な紳士で、晩には奥さんも一緒にハドソン川沿いのレストランで食事をした。そこで僕は長年、疑問に思っていたことをサイモンにぶつけてみた。1975年あたりを境にして、アメリカのロック・レコードは音が変わってしまった.1970年代前半に持っていたクォリティーを失ってしまったように思われる。あの原因は何だったのでしょう?と。

プロデューサーであるジョン・サイモンなら、どんな変化があったのか、テクニカルなことを含め、具体的に教えてくれるのではないかと思った。だが、サイモンが言ったのは「ドラッグの問題があった」ということだけだった。「ドラッグのせいで、みんながバラバラになっていった」と。その答えに僕は不満だった。ドラッグの問題ならば、60年代からあったはずだから。

だが、映画『ザ・バンド かつて僕らは兄弟だった』はまさしく、ドラッグのせいで、みんながバラバラになっていく映画だった。サイモンにはそれ以外の答えはなかったのだ、と僕は納得した。ウッドストック村のミュージシャン・コミュニティーが崩壊し、豊かなクォリティーが失われていく中に彼は身を置いていた。1972年から20年間、ソロ・アルバムを作れなかったのも、それと無関係ではないだろう。どれほど酷いことが連続したか、僕の質問のせいで、サイモンは思い出してしまったに違いない。

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