FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」番外編"全てはエルヴィスから始まった"Part3。"それは『ブルー・ハワイ』から始まった"。エルヴィス・プレスリーの軌跡を辿っています。今流れているのは、番組の後テーマ曲、竹内まりやさんの「静かな伝説(レジェンド)」です。
今日は8月17日、エルヴィスが亡くなったのは日本時間だと8月17日ということで、45回目の命日ですね。そんな時に、映画『ブルー・ハワイ』の全曲特集をやらせていただいています。こんな自分の好き放題企画をやらせていただけるとは。FM COCOLOに心から感謝しております。16歳の僕は、まさかこんな70代を迎えているとは夢にも思わなかったんではないでしょうか(笑)。
そして、今週のタイトルは"それは『ブルー・ハワイ』から始まった"ですが、何が始まったか? こういう青春映画のパターンですね。恋と歌、風光明媚な景色、この『ブルー・ハワイ』の後に、エルヴィスは『ガール・ガール・ガール』、『ハワイアン・パラダイス』というハワイでロケーションした映画を2本作ります。その後にメキシコに渡って『アカプルコの海』という作品を作ったりもするんです。日本ではどうだったかというと、1950年代のエルヴィスを誰よりも愛していたミュージシャンが加山雄三さんです。加山さんは当初、日本語で歌ったことがなくて、ずっとエルヴィスの歌を歌っていた。そして、岩谷時子さんに出会って日本語の歌を歌うようになったんですね。でも、1963年に公開された4作目の若大将シリーズ「ハワイの若大将」の中で歌われる『恋は紅いバラ』はまだ英語です。若大将シリーズの1作目『大学の若大将』は1961年7月公開ですが、加山さんのオリジナル曲はありませんでした。1963年の『ハワイの若大将』からこういうスタイルになっているんです。もし『ブルー・ハワイ』が無かったら、若大将シリーズはどうなっていただろう? と思ったりします。1960年代前半のビートルズ上陸以前の古き良きアメリカ、映画『アメリカン・グラフィティ』の舞台だったのは1962年ですね。あの映画のキャッチフレーズに、"1962年、あなたはどこにいましたか?"というのがありました。1962年、僕はエルヴィスとハワイを夢見ていました。
<INFORMATION>田家秀樹1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。https://takehideki.jimdo.comhttps://takehideki.exblog.jp 無料メールマガジン会員登録に登録すると、
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