伊東歌詞太郎が追求する「夢の正しい叶え方」

ーエッセイではこれまでの人生での経験とか想いも曝け出されていると感じました。実際書き上げてみてどう思いました?

歌詞太郎:まず自分の人生には何の価値もないなと思いました(笑)。前作の小説『家庭教室』、というのは文字で表現するアートじゃないですか。でも、エッセイって自分のことだから、一生出すことはないと思っていたんですよ。でも編集の方の熱意に説得されて書き始めたら、自分も書いていてだんだん面白くなってきたんです。僕は過去を振り返るようなことをしないんですけど、エッセイを書くためには、自分の過去のことを思い出さないといけないじゃないですか。その時に自分が喋ったこと、どんな思考でどんな判断をしたとか振り返ると、自分って本当に頭が悪くて、面白いんですよ(笑)。

ー客観的に自分を見てそう感じた、と。

歌詞太郎:思い出してこなかったからこそ、新鮮に自分の人生が感じられて面白くて。でも、僕の挫折した経験を読んで元気を出してほしいとか、そんなおこがましいことも考えていないんです。幸せな人もそうじゃない人も、老若男女皆に読んで笑ってもらって一定のプラスを与えることができたらいいな、って思いますね。

ー僕は読ませていただいた時にすごくザクザク刺さって。こういう言葉を使って、こんな経験した人なんだって素直に感動しました。歌詞太郎さんは、一歩を踏み出す力がすごいんだなと思いました。

歌詞太郎:よく講演会で、"夢を叶えたいけど一歩が踏み出せない人に何を伝えたいですか"っていうテーマでお話することがあるんです。その時も、皆さんはが頭良すぎるのでは? っていうことは伝えていますね。頭が良い人は、この夢を叶えるためにこのくらい時間とお金がかかるっていうのが先に分かっちゃうんですよね。でもバカだったら、とりあえず良いね! って後先考えずに踏み出してボロボロに切り刻まれるんですよ(笑)。でも、そこで血を流してでも踏み出してから見る風景は必ず変わっていて。やっぱり、最初の位置で見えていた情報と一歩踏み出して見えた情報は違うんですよね。

ー切り刻まれる勇気があるっていうのはすごいことですよね。

歌詞太郎:それは頭の良い人の発想で。ただ一言、バカなんですよ僕は(笑)。いざ一歩踏み出したら、めちゃくちゃ怖いんですけど、それを乗り越えた先に何があるとか、考える頭もなく行動していることが今につながっているのだと思います。

ー過去の辛い経験を改めて文字にするっていうのは、ある意味では辛いことではないんですか?

歌詞太郎:エッセイで語っていたようないじめや親との距離感って、一回も隠したことがなくて。いじめられた経験は曲にもしているし、隠したいことって自分の中で無いんですよ。なので、辛い経験をもう一回思い直してっていう感覚も全くなかったです。自分の中では、いじめられたことによって感性とか性格とか一回殺されていて、ボコっと歪むんですよ。歪んだまま伸ばしていくのか、一回無理やり矯正して真っ直ぐに伸ばしたとしても、それは絶対どこか多少は歪んでるはずだし。でも、どっちのやり方で伸ばしていくのかも一つの決断だと思うんです。自分が決断できないままだと、ずっと辛いままなのかなと思います。自分の中で消化して一つの個性だと捉えてみたら、今は何の苦でもないですね。

Rolling Stone Japan 編集部

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