史上最高のベーシスト50選

20位 リック・ダンコ

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飾り気のないところがザ・バンドの魅力であることは疑いないが、彼らのクラシックを改めて聴いてみると、その強烈なファンクネスに驚かされる。抜群のリズムキープを誇り、音数を抑えたスタイリッシュなリック・ダンコのベースプレイは、「クリプル・クリーク」「キング・ハーヴェスト」等の代表曲において不可欠な要素となっている。オンタリオの郊外で育ったダンコは、電池駆動のラジオでグランド・オール・オプリを聴き、バーンダンスで演奏する父の姿を見て育った。1961年、彼はロニー・ホーキンスのザ・ホークスに加入し、後にザ・バンドのメンバーとなるロビー・ロバートソンやリヴォン・ヘルムと出会う。彼は同バンドのピアニストだったスタン・ゼレストから、リズムセクションとは何たるかを学んだ。数年後、彼らはボブ・ディランのエレキ路線転向後初のツアーでバックバンドを務めた。ザ・バンドとして活動を開始した直後から、数多くの作品を発表した再結成期に至るまで、ダンコはバンドにおける秘密兵器というべきポジションを確立していた。彼のトレードマークだったさえずるようなボーカルはもちろん、確かな技術に裏打ちされたベースプレイでヘルムが生み出す粘りのあるグルーヴを支えた。「ベースはバックグラウンドボーカルに似てると思う」彼は1994年にBass Player誌にそう語っている。「一歩退いた場所にいること。フロントをボーカルや他のパートに任せられるっていうのはいいものだよ。そうすることで、観覧車がずっと回っているかのような感覚を生み出すことができるんだ」




19位 ヴァーダイン・ホワイト

Michael Putland/Getty Images

アース・ウィンド・アンド・ファイアーのシンガー/ソングライター/ドラマー/プロデューサーのモーリス・ホワイトは、1970年に弟のヴァーダインをロサンゼルスに呼び寄せ、キャリアの浅かったバンドに加入させた。ルイス・サターフィールド(ヴァーダインは彼を「シカゴのジェームス・ジェマーソン」と呼んだ)からベースを学んだ後、彼はロン・カーターやリチャード・デイヴィス等のジャズプレイヤーについて研究したという。アース・ウィンド・アンド・ファイアーが残した、エレガントかつ嘆息するほど複雑、そして何百万枚ものセールスを記録したアルバムの数々には、彼が身につけたすべての知識と技術が活かされている。バンドの代表曲の多くはアップテンポなダンストラックだが、ホワイトのベースプレイの魅力はバラード群でより際立っている。「キャント・ハイド・ラヴ」の冒頭の勢いよく上昇していくベースライン、「ラヴズ・ホリデー」でのスムーズかつアタックの効いたフレージング、「アフター・ザ・ラヴ・ハズ・ゴーン」を支える敏捷で簡潔なリフ等はその好例だ。アップリフティングな曲群においても、彼の技術とセンスは大いに発揮されている。「ブラジルの余韻」において、彼の奏でる一音一音は光り輝くかのような存在感を放っている。ホワイトはメディアの前でも謙虚な姿勢を貫いており、自身のスタイルは他のメンバーを支えるためのものだとしている。「レコードにおける僕の役割は、ボーカルを引き立てることだ」彼はそう話している。「ボーカルがなければ、僕はつまらないラインしか考えつかないだろうね」




18位 クリス・スクワイア

Michael Putland/Getty Images

何十年にも及ぶキャリアにおいてメンバーチェンジを繰り返したイエスにおいて、ベーシストのクリス・スクワイアは(2015年に逝去するまで)一貫して在籍した唯一のメンバーだった。プログレロック界の巨匠が、キーボーディストのリック・ウェイクマンやギタリストのスティーヴ・ハウを失っても生きながらえることができたのは、スクワイアという強固なバックボーンがあったからだ。ジャック・ブルース、ジョン・エントウィッスル、ポール・マッカートニー等から影響を受けたスクワイアの分厚くメロディックなトーンは、プログレロックの金字塔『危機』や「悟りの境地」、そして80年代ポップの名曲「ロンリー・ハート」に不可欠な要素となっている。「ベースをリード楽器として使うというコンセプトを、クリスは別の次元にまで持っていった」スクワイアの死によせて、ウェイクマンはそうコメントしていた。「ショーマンシップを忘れず、一音たりとも妥協しない彼は別格のプレイヤーだった。ジョン・エントウィッスル、そしてクリスがこの世を去った今、私たちはクラシックロック史上最高のベーシスト2人を失ったことになる」




17位 ロビー・シェイクスピア

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ロビー・シェイクスピアは、リズムセクションとプロダクションの両方でパートナーを務めるスライ・ダンバーと共に、何十年にも及ぶレゲエの歴史にその名を深く刻んだ。「サウンドからドラムとの絡みまで、ベースのポテンシャルを最大限に引き出していた」70年代初頭にシェイクスピアのプレイを初めて耳にした時のことについて、ダンバーはそう語っている。「曲の一部で異なる3つのラインを弾いたりしていた。ブリッジやヴァースでもラインを変え、箇所によっては4種類くらいあった」。流動的でメロディック、それでいて極めてタイトなアンサンブルを誇った2人は、カルチャーの『Two Sevens Clash』やピーター・トッシュの『Equal Rights』をはじめ、レゲエの黄金期を支えたあらゆる巨人たちの作品に参加している。ダークで掴みどころがないというダブのイメージを刷新した2人は、80年代に登場したダンスホールのデジタルなサウンドに温もり与える術を編み出し、グレイス・ジョーンズやトーキング・ヘッズ、ボブ・ディラン、ミック・ジャガーといったメジャーアクトの作品におけるグルーヴを彩った。ボブ・マーリー以降、彼らほどジャマイカのサウンドの形成とその発信に貢献したアーティストはいない。


Translated by Masaaki Yoshida

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