史上最高のベーシスト50選

左からブーツィー・コリンズ、フリー、エスペランサ・スポルディング(Photographs used in illustration by AP/Shutterstock; Joseph Okpako/WireImage; Elaine Thompson/AP/Shutterstock)


16位 チャーリー・ヘイデン

Michael Ochs Archives/Getty Images

オーネット・コールマンの「ロンリー・ウーマン」(1959年に発表されたジャズの枠を超えたこの名曲は、若かりし頃のルー・リードをはじめ、好奇心に満ちたリスナーたちを何世代にもわたって魅了してきた)は、ビリー・ヒギンスの倍速ライドシンバルに合わせて、チャーリー・ヘイデンの脈打つようなベースラインで幕を開ける。そのイントロは、地中に深く根ざした古の大木のような力強さを曲に与えている。フリーフォームの代名詞たるコールマンから、フォークの異端児ベックまで、ヘイデンのベースは決して色褪せない普遍的な魅力を楽曲にもたらす。アイオワで生まれ育ったヘイデンは、家族がホストを務めていたラジオ番組でカントリーの曲をヨーデルで歌い上げていた。チャーリー・パーカーの演奏を見てジャズに目覚め、50年代後半に大学進学のためロサンゼルスに移ったヘイデンは、ほどなくしてジャズに革命を起こすサックス奏者のオーネット・コールマンと出会う。ヘイデンはオーネットのヴィジョンに不可欠な存在であり、以降数十年にわたってライブとレコーディングの両面に貢献し続けたほか(バックバンドを務めた1968年のヨーコ・オノのライブを含む)、オールド・アンド・ニュー・ドリームス等のサテライトプロジェクトにも参加した。先進的でオープンなジャズのミュージシャンたちから絶大な信頼を得ていた彼の活動は多岐に渡り、パット・メセニー、キース・ジャレット、アリス・コルトレーン等の作品への参加のほか、自身の政治的ヴィジョンを反映したリベレイション・ミュージック・オーケストラや、ジンジャー・ベイカーとビル・フリーゼルとのウォームで感傷的なトリオアンサンブルでも、その類まれなセンスとスキルを発揮している。また彼はリンゴ・スターやK.D.ラングのほか、自身の息子や三つ子の娘とも共演を果たしている。「チャーリー・ヘイデンのプレイはリスナーの存在を感じさせる」コールマンはかつてそう記している。「彼が天才であることは、それだけで証明が可能だ」



15位 ドナルド・’ダック’・ダン

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メンフィス生まれのドナルド・ダンは(「ダック」というニックネームは彼の父親がつけたもので、2人がディズニーのアニメを観ていた時に命名された)、Staxのレジデントバンドだったブッカー・T&ザ・MG’sのオリジナルメンバーではない。しかしバンドが飛躍するきっかけとなったのは、1964年に彼がルイ・スタインバーグに代わってベーシストとして加入したことだった。ダンの在籍期間は、オーティス・レディングやウィルソン・ピケット、サム&デイヴがサザンソウルの基盤を確立した時期と一致する。「アグレッシブでシンコペーションが効いている音楽ほど、僕のスタイルはよりフィットした」ダンは後にそう語っている。ドラマーのアル・ジャクソンとのテクニカルで多芸なリズムセクションは、洗練されたポップバラードやカントリーソウルのシャッフル、ゴスペルの影響が色濃いアップテンポなソウルまで、あらゆるスタイルに見事にフィットした。MG’sによるサム&デイヴの「When Something Is Wrong With My Baby」のインストカバーで耳にすることができるゆるやかに下降していくベースライン、レディングの「ドック・オブ・ベイ」の冒頭を飾る軽快なフレージング等は彼の真骨頂だ。ブーツィ・コリンズが「俺たちのカルチャーの重鎮」と呼んだダンは、エリック・クラプトンやスティーヴィー・ニックス、ビル・ウィザース、ニール・ヤング等、数々のポップ/ロック界のレジェンドたちと共演しているが、ポピュラー音楽の発展に最も大きく貢献したのは、やはりブッカー・Tとスティーヴ・クロッパー、そしてアル・ジャクソンとの仕事だろう。「彼はR&Bにおけるベースプレイの基本を確立した」ピータ・フランプトンはダンについてそう語っている。




14位 ジョン・ポール・ジョーンズ

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レッド・ツェッペリンは1960年代末に彗星の如くシーンに登場したかのように思われがちだが、ギタリストのジミー・ペイジとベーシスト兼キーボーディストのジョン・ポール・ジョーンズは、その時点でセッションの経験を豊富に積んでいた。モータウンのレコードやチャールズ・ミンガス等のジャズベーシストに影響を受けたジョーンズは、ドノヴァンやジェフ・ベック、ダスティ・スプリングフィールド等の作品に参加しており、ローリング・ストーンズの「シーズ・ア・レインボー」のストリングスパートのアレンジも手がけている。そんな彼にとって、「幻惑されて」「強き2人の愛」でのゆっくりと歩いていくようなリードラインや、「移民の歌」「永遠の詩」における(ペイジとの息の合った)リズムチェンジは容易かったはずだ。彼の類い稀な音楽的センスは、レッド・ツェッペリン以外での活動においても発揮されている。「ジョンはひっそりと他のプレイヤーたちを挑発するんだ」ゼム・クルックド・ヴァルチャーズで活動を共にしたデイヴ・グロールはそう話す。「ジョンは他のミュージシャンのポテンシャルを引き出すことができる。みんな彼を失望させたくないって思うからね。彼のペースについていくことができれば、そいつはミュージシャンとして悪くないってことなんだ」




13位 スタンリー・クラーク

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マイルス・デイヴィスを支えたデイヴ・ホランド、ミロスラフ・ヴィトウス、ウェザー・リポートのジャコ・パストリアス、マハヴィシュヌ・オーケストラのリック・レアード等の名ベーシストたちは、60年代のポストバップをアリーナ級ロックのエネルギーによって発展させてきた。しかし、フュージョンにおけるベースの定義を確立した人物といえば、スタンリー・クラークをおいて他にいない。ダブルベース奏者だったクラークはクラシック音楽におけるキャリアを志していたが、ギグの場でのチック・コリアとの出会いは彼を別の道へと導いた。2人が結成したリターン・トゥ・フォーエヴァーは、70年代におけるエレキ楽器を用いたジャズグループの代表格のひとつとなり、クラークはローエンドの担当に止まらず、ソロイストとしても抜群の存在感を発揮した。『スクール・デイズ』をはじめとする初期のソロアルバム(後にベーシストたちの定番となる)ではファンクに接近し、グルーヴを損なうことなく脱帽もののテクニックを存分に披露している。最近では映画やテレビ番組のスコアも手がけているほか、見過ごされがちなベックのグラミー受賞作『モーニング・フェイズ』に参加したり、サンダーキャットのような新世代の代表格ベーシストたちによる再評価も進んでいる(「ベースという楽器の可能性を、俺はスタンリー・クラークから学んだ」彼はそう語っている)。「僕が活動を始めた頃、ベーシストの多くは目立たないことを意識しているようだった」クラークはかつてそう語っている。「物静かで曲を書くようなタイプには思えなかったけど、誰もが真剣に音楽と向き合ってた。僕はただ一歩前に出て、自分のバンドを組んだっていうだけだよ」


Translated by Masaaki Yoshida

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