日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか?

80年代の東京(Photo by Ken Straiton/REX/Shutterstock)



日本人は自分たちが生み出すものに感情移入することができる

バックグランドは複雑であっても、シティ・ポップは究極的にはポジティブな音楽だった。そのユートピア的なムードは、より高性能の機械、より豊かな生活、そしてより優れた国を目指した人々が支えた経済成長による活気を反映していた(80年代終盤のバブル崩壊と同時に、シティ・ポップの人気が急激に衰えていったことは驚くに値しない)。

ハイテクの分野ではその理想主義が今も健在であるのに対し、同じくハイテク化が進む現在の音楽業界のシーンはまるで違う方向を向いている。ストリーミングやレコメンデーション・アルゴリズムが好むチルでノリがよく無害な音楽が、プレイリストや広告に頼る受け身のリスナーを増やしているということについては、これまでに何度も語られてきた。そういった傾向は、ツールとしての実用性ばかりを重視した音楽を生み出す。生産性の増加、集中力の向上など、効率性を最適化するための音楽で空間が満たされていく。

シティ・ポップがまだ見ぬ栄光へと向かって走る車のステレオから流れてくるものだとすれば、ストリーミング世代の音楽は、それが意図的であるかどうかに関わらず、目的と効率にこだわるアメリカンなメンタリティの産物だといえる。それが何の感情も喚起しないわけではない。多くの人々がそういった音楽に悲しみや不安、孤独、メランコリー、虚しさを感じ、それらはやがて渾然一体となり、ソフトで耳なじみの良いメロディへと姿を変えてデータセンターに回帰する。しかし、あくまでコンテンツであるそういった音楽が、シティ・ポップの最大の魅力である「喜び」という感情をもたらしてくれることは滅多にない。



2013年のガーディアン紙の同記事で、イエロー・マジック・オーケストラで細野晴臣と活動を共にした坂本龍一は、日本のテクノおよびシンセのイノベイターたちと、ドイツやデトロイトにおけるライバルたちとの違いについてこう述べている。「国家神道が確立されるまで、日本の社会は霊魂信仰を実践していました。しかし現在でも、私たちの多くは霊魂を信じています。それは私たちのツールの使い方にも現れています。私たちにとって、そういったツールは単なるモノではありません。車であれテレビであれコンピューターであれ、日本人は自分たちが生み出すものに感情移入することができるのです」

それは『Pacific Breeze』で耳にすることができるシティ・ポップのサウンドにも言えることだ。そこに宿っているもの、それはピュアなエクスタシーへの渇望だ。

Translated by Masaaki Yoshida

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