日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか?

80年代の東京(Photo by Ken Straiton/REX/Shutterstock)



シティ・ポップの快楽は、新車のシンナーのにおいを嗅ぐことに似ている

商品たるシティ・ポップは、豊かなモダニティの産物であると同時に、その犠牲者でもある。ポップの多くがそうであるように、これらの音楽にも資本や権力を持つ人々の思惑が潜んでいる。しかし、そのジャンルが巻き起こすエクスタティックな波に身を投じる快感は、そういった思惑がもたらす不安や恐怖に対する最良の処方箋だった。

McNeillによる『Pacific Breeze』のライナーノーツでは、この音楽を聴いた時の感覚が極めて的確に言い表されている。「(シティ・ポップの)快楽に身を委ねることは、ネオンが煌めく夜の街を駆け抜ける、新車のシンナーのにおいを嗅ぐことに似ている」それに近いメタファーは、本作の2曲目に収録された大貫妙子の「くすりをたくさん」にも見られる。ファンキーな同曲では、ノイローゼ患者の不安を助長する薬を次々に処方する医者たちが登場する。



シティ・ポップにおけるモダンな緊張感は、当時の日本におけるハイテクブームおよびバブル景気に起因している。戦後の日本における経済成長の柱だったそのブームは、やがてメランコリーと孤独感を生み出す。ウォークマンはもちろん、カセットデッキとFMラジオを搭載した車などを世に送り出したそのブームからは、Casio CZ-101、Yamaha CS-80、Roland TR-808等、ミュージシャンたちがイメージしたサウンドを具現化するためのツールの数々も生まれた。小林泉美、吉田美奈子、大貫妙子といった女性アーティストたちがそうであったように、当時のミュージシャンたちは大企業と深く関わり合いながらも、作品におけるクリエイティブ面を自らコントロールしていた。

また当時、音楽は人々にとってより身近なものへと変化しつつあった。Bourdaughsは著書で、高価なアルバムに手が出せないリスナーの多くはレンタルショップでレコードを借り、カセットデッキを使ってテープにダビングしていたとしている。

Translated by Masaaki Yoshida

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