「グランジ」史上最高のアルバム50選

6位 アリス・イン・チェインズ 『ダート』(1992年)


グランジ初のゴールド・ディスクとなった1990年のデビュー・アルバム『フェイスリフト』の成功の後、ニルヴァーナが音楽シーンに開けた風穴を背景に、アリス・イン・チェインズはより幅広いMTVの視聴者に自分たちの音楽を知らしめる段階にあった。映画『シングルス』に出演し、サウンドガーデンやパール・ジャムも参加するサウンドトラックの1曲目にモンスター・ヒット・シングル「ウッド?」が収録されるなど、幸先の良いスタートを切っていた。他の多くのグランジ・バンドとは違い、アリス・イン・チェインズはパンクよりヘヴィ・メタルからの影響が大きく、それはブレイクのきっかけとなった曲「マン・イン・ザ・ボックス」ですでに明らかであった。

そして、『ダート』には彼らの新しい音楽に裏で影響を与えていたものがあった。ヘロインである。「ゼム・ボーンズ」「ルースター」のようなダークで生々しい曲や、そのままのタイトルの「ジャンクヘッド」など、このアルバムはレイン・ステイリーが当時も続けていた薬物乱用が反映されていた。「このアルバムは曲が進むにつれてドラッグを称賛する内容から、悲惨な状況になって、初めは自分の役に立っていると思っていた物に対して疑問を投げかける内容へと変わっていく。アルバムが終わりに行くまでに、思っていたようにはうまくいかなかったっていうことが明らかになっている」と、彼は1992年にローリングストーン誌に語っている。





5位 マッドハニー 『スーパーファズ・ビッグマフ』(1990年)


『ネヴァーマインド』の方が人気だったかもしれないし、マッドハニーはシアトル・シーンの中で誰もが知るようなバンドにはならなかったかもしれないが、『スーパーファズ・ビッグマフ』はおそらくこのリストの中で最も影響力のあるアルバムだろう。バンドの2大お気に入りのエフェクターから拝借したタイトルのEPのオリジナル版は1988年にリリースされ、その直球の攻撃性がアンダーグラウンド・ロック・シーンに衝撃を与えた。フロントマン、マーク・アームの不機嫌な声とスティーヴ・ターナーのガレージ・ロックなギターソロが特徴的な「ニード」、暴れまわるダーティなベース・リフの「ノー・ワン・ハズ」、芸術的なブレイクダウンの「イン’N’アウト・オブ・グレイス」など、バンドの振り幅の大きさを感じることができる。

レーベルは1990年にこのEPを再リリースするにあたって、彼ら最初の2曲のシングル曲を追加し、『スーパーファズ・ビッグマフ』はニルヴァーナなどのバンドが当時目指していたサウンドの見本のようなものとなった。キャメロン・クロウは「タッチ・ミー・アイム・シック」を『シングルス』の劇中でグランジ・バンド、シチズン・ディックの曲として「タッチ・ミー・アイム・ディック」に変えて使用し、ソニック・ユースはキム・ゴードンのボーカルで同曲をカバー。カート・コバーンは「スウィート・ヤング・シング」の特徴的なアイデアを『ブリーチ』の「ネガティヴ・クリープ」に借用している。

このアルバムは、サブ・ポップのベストセラーのひとつとなった。「もし『スーパーファズ・ビッグマフ』が1年もイギリスのチャートに残り続けることがなく、マッドハニーがこんなに評判にならなかったとしたら、ニルヴァーナがどうなっていたかはわからないだろう」とサブ・ポップの共同設立者ブルース・パヴィットは1993年、スピン誌に語っている。以降、本作の曲はマッドハニーのライブで欠かせないものとなっている。「俺たちはただがむしゃらに、お互いメンバーに着いていこうとしていただけ。ある意味、今でもそうだ」とアームは2008年にローリングストーン誌に語っている。





4位 ホール 『リヴ・スルー・ディス』(1994年)


『リヴ・スルー・ディス』は自分自身を引き裂くコートニー・ラヴのサウンドそのものだ。この2ndアルバムは激情的な女性フロントマンである彼女が、それまで悪女として扱われていたが本当はポップカルチャーのヒロインであるということを主張するように、共依存や母性、フェミニズムを波乱万丈に反映した作品である。もちろん、そのタイミングは疑いようもなく悲劇的であった。ホールのメジャー・デビュー作品は、ラヴの夫であるカート・コバーンがショットガンで自殺し、2人が暮らしていたシアトルの自宅でその遺体が見つかってから、ほんの数日後にリリースされた。『リヴ・スルー・ディス』はラヴが突然、未亡人セレブという役割を押し付けられるのを予言していたようなタイトルである。それでも、世界を揺るがしたコバーンの死の前からラヴは世の中に示すべきものを持っており、このアルバムで想像の遥か上を行く結果を残したのだ。

自分の世間的イメージをおもしろがったり(「プランプ」)、ワシントン・シーンのキッズをからかったり(「ロック・スター」)、産後の鬱に向き合ったり(「アイ・シンク・ザット・アイ・ウッド・ダイ」)、恋愛関係の不安を赤裸々に歌ったり(「ドール・パーツ」)しているが、これらはすべてラヴの痛烈な皮肉であり、レズビアンの繊細な声から、腹の底から引き裂かれたかのように血を固まらせるようなしゃがれた叫びまで彼女の声は節操なく変化する。

コバーンと、このアルバムで演奏しリリースの3カ月後にオーバードーズで亡くなったクリスティン・ファフの悲しみを乗り越えた後、ラヴは物議を醸したツアーに出た。彼女はこのアルバムが持ち続けうる影響を理解し、自分というアイコンに対する世間のイメージをみずから作り上げていこうとした。「同情票をもらっているとは思いたくないし、そうするには私が持っているものが本物だということを証明するしかない。それが『リヴ・スルー・ディス』の意味よ」と、ラヴは1994年にローリングストーン誌に語っている。




Translated by Takayuki Matsumoto

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