「グランジ」史上最高のアルバム50選

Photographs in illustration by Kevin Mazur/WireImage, 2; Jeff Kravitz/FilmMagic; Mick Hutson/Getty Images


3位 パール・ジャム 『Ten』(1991年)


パール・ジャムはたった3カ月のライブ活動を経て、1stアルバムを作るために1991年3月にシアトルのロンドン・ブリッジ・スタジオに入った。彼らはムーキー・ブレイロックというバンド名で、主にアリス・イン・チェインズの前座として西海岸の小さいライブハウスを回っていたが、その時に「BLACK」「EVEN FLOW」「ALIVE」「WHY GO」など、最終的にこのアルバムの中心となった新曲を試していた。エディ・ヴェダーはシアトルのシーンに来たばかりで、バンドのメンバーとも前年の10月に出会ったばかりであったが、彼の深みのある声と非常にパーソナルな歌詞が、80年代のどんな音楽よりも70年代のパンクやアリーナ・ロックから影響を受けていたバンドの音楽と完璧にマッチしていた。

数年後、ヴェダーはこのアルバムが、自身の人生にとっての大きなターニングポイントであったと振り返っている。「俺がちゃんとした音源を作った初めての機会だったし、めちゃくちゃ集中してやった。俺は新しい街に来ていたから、その曲が友達や家族の代わりだったんだ」と2009年にローリングストーン誌に語っている。しかし、このアルバムが13×プラチナ・アルバムに認定され、今でもラジオでかかり続ける時代のアンセムを生み出し、パール・ジャムを小さなライブハウスのバンドから世界中のスタジアムで演奏するようなバンドに押し上げることになろうとは、誰も想像できなかったはずだ。

※関連記事:パール・ジャムの名盤『Ten』あなたが知らなかった10のこと





2位 サウンドガーデン 『バッドモーターフィンガー』(1991年)


テンプル・オブ・ザ・ドッグでの経験から、もっとキャッチーで簡潔な曲作りに再び焦点を合わせなければと感じたクリス・コーネルは、サウンドガーデンの商業的成功のきっかけとなった『バッドモーターフィンガー』でバンドを新時代へと導いた。ドラマーのマット・キャメロンは誇らしげに「俺たちはポップなアルバムは作らない」とローリングストーン誌に語っていたが、このアルバムが出たのはヘヴィ・ロックにとっての大転換期であったため、「アウトシャインド」「ジーザス・クライスト・ポーズ」(MTVがミュージック・ビデオの公開を禁止したおかげでもある)、リズム的に変化のある「ラスティ・ケージ」(後にジョニー・キャッシュがカバー)の3曲が大ヒットとなった。それぞれの曲にこれらの曲を名曲たらしめている、音程を外すことのないコーネルの異次元レベルの高音に合った個性的でブルータルなリフが入っている。

一方、オーディエンスを突き上げるような「スレイヴズ&ブルドーザーズ」や「サーチング・ウィズ・マイ・グッド・アイ・クローズド」などの、よりディープな曲はライブに欠かせない曲となった。「『ラウダー・ザン・ラヴ』(89年の前作)の後、俺たちは少し後戻りしなければならないような状況だった。『ラウダー・ザン・ラヴ』でダークなサイケデリアは感情的なヘヴィさにいくらか置き換わったけど、それが『バッドモーターフィンガー』で奇抜さとともに戻ってきた」とギタリストのキム・セイルは語っていた。

サウンドガーデンはニルヴァーナやパール・ジャムよりもヘヴィだったが、それでもグランジのスターバンドたちの第一波の中でしっかりと居場所を確保し、シーンを代表する曲を生み出した。そして、そのアルバムはビルボードライブ200で39位を記録し、ダブルプラチナとして認定された。またグラミー賞にもノミネートされた。「俺は『バッドモーターフィンガー』をすごく気に入ってるんだ。車で聞くと本当にいい感じだからね。このアルバムにはサウンドガーデンの典型的な奇抜さが詰まっている。俺たちはいつもクレイジーで変わった要素を入れてるんだ。ヘヴィさを追求しながらも、真面目になりすぎない能力が俺たちにはある。全力を尽くしながらも笑うような感じだ」とセイルは語っていた。





1位 ニルヴァーナ 『ネヴァーマインド』(1991年)


90年代初期のポップ音楽は悲惨な状況であった。ラッパーたちはジニーパンツを履き、ロッカーたちは「11月の雨」について感傷的な9分の長編曲を作り、マイケル・ボルトンはアイズレー・ブラザーズの曲を盗作していた。ニルヴァーナはそんなシーンの根本を揺るがした。彼らはメインストリームの音楽に存在するくだらない流れを無視し、生々しく修正されていない、包み隠すことのない4分の曲を作り、ビルボード・ホット100に並ぶ顔ぶれを変え、その後の10年間の大部分を荒々しいギター・リフと心からの歌詞にスポットライトがあたる時代にした。カート・コバーンは愚かさ(「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」)や醜さ(「リチウム」)、幻滅(「サムシング・イン・ザ・ウェイ」)を歌い、女性を人ではなく物のように扱ってきたハード・ロックの因習に抵抗(「ポリー」)した。このアルバムは、マイケル・ジャクソンの『デンジャラス』から全米チャート1位の座を奪うほどの勢いがあった。

1987年の結成からバンドはとてつもない成長を見せた。数年前のコバーンは、明らかにメルヴィンズやマッドハニーからの影響を滲ませつつ、低音のリフの上で低い声でつぶやいたり高音で叫んだりするようにして歌っていたが、ツアーでの経験や、すべてを『ブリーチ』より強くクリーンにしたプロデューサーのブッチ・ヴィグの助けによって、最高傑作を作り上げることに成功した。

「『ネヴァーマインド』の制作過程を思い出すと今でも恥ずかしくなる。バンク・ロックのアルバムというよりモトリー・クルーのアルバムに近い」とコバーンは、バンドの公式伝記『Come as You Are』の中で語っている。しかし、彼はあちこちにハーモニー・ボーカルを入れたり、ギター・パートを重ねたりしているが、それでも『ネヴァーマインド』は激しくパンクに聞こえる。ヘヴィであるがメロディックでもあるアレンジの中に、よく知られるピクシーズの「LOUD-quiet-LOUD」な様式からの影響や、新ドラマーのデイヴ・グロールによるハード・ヒットのドラムなどの絶妙なニュアンスがあり、コバーンの歌詞にも世俗っぽさがある。

スキッド・ロウは1991年のナンバー1アルバム『スレイヴ・トゥ・ザ・グラインド』で、『ネヴァーマインド』の「ステイ・アウェイ」の「神はゲイだ」のような歌詞を書くことはなかったし、サミー・ヘイガーは遊ぶことに精を出しすぎて、陰気に昂ぶった「リチウム」の歌詞のように「俺はひどく孤独だが それでもいいんだ」なんてことを認めることはなかった。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」で聞くことができるウィリアム・バロウズ調のコラージュ的歌詞は「まあ別になんだっていい」という、態度のゆるいロックスターたちの新時代の到来を告げていた。ウィアード・アルが「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を替え歌にしたり、パティ・スミスも同曲をカバーしたりと、コバーンは望まずして時代の代弁者となった。このアルバムのインパクトは圧倒的であった。「シアトルにいた数年はサマー・オブ・ラヴみたいで最高だった。ギターを持ったままオーディエンスの上に飛び乗って、会場の一番後ろまで運ばれても無傷で戻ることが出来た。何を祝ってるのかは誰にもわからなかったが、お祝いみたいなものだったんだ。でもメインストリームに出てしまって全部終わってしまった」とコバーンは語っている。

『ネヴァーマインド』のリリースから数カ月もしない間に、パール・ジャムの『Ten』は全米チャート2位になり、アリス・イン・チェインズの『ダート』もトップ10に入り込み、サウンドガーデンの『バッドモーターフィンガー』はゴールド・ディスクに認定された。『ネヴァーマインド』は大げさなロックにうんざりしていた音楽ファンとって時代を変えてくれるものとなった。そのジャンルの分け方を彼らが好きか嫌いかは別として、ニルヴァーナは音楽というものを永遠に変えたのだ。「俺たちの小さなグループはこれまでもそうだったし、最後までずっとそのままだろう」と『ネヴァーマインド』の中の歌詞にもあるように。

※関連記事1:ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』、知られざる10の真実

※関連記事2:ニルヴァーナ『ネヴァーマインド』、25年の時を経て公開された未発表写真



Translated by Takayuki Matsumoto

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE