ーははははは。でも、よくわかるお話です。サウンドプロダクションも細かいし、王道のラウドな楽曲でも、実は音の重なりがとても繊細で。
そう、すごくキメ細やかな音作りになってる。きっとお金と時間をかければ、他のメインストリームのバンドも作れる音なのかもしれないんですけど。だけど、エクストリームでラウドな音楽性から始まったブリング・ミー・ザ・ホライズンが作品ごとに変化と進化を果たして今この音を作り上げたからこその感動があるんですよ。
ーでは、彼らが『amo|アモ』で音楽業界への疑問符を投げかけたと感じたのは、どういう部分だと思ってます?
サウンド面を時代に適したものにガッツリ変化させつつも、Oli(オリヴァーの愛称)が歌っていることは変わらず、内面の痛みやったり苦しみの部分やったりで変わっていないんですよ。この『amo|アモ』っていうアルバムは、映画で言ったら、『トレインスポッティング』みたいやなって思うんですね。
ーというと?
今のロックって、「世界を救う」みたいな偽善的なものが多いんですよ。音楽的にも、いろんなバンドがイマジン・ドラゴンズ化していくばっかりで(笑)。だけど、もっと俺らにはできることがあるやん!っていうブリング・ミーなりの意思表示やと思ったんです。サウンド面は変化したけど、ブリング・ミーが伝えたいことは変わらない。言ってみれば、彼らのメッセージって知らない人からしたら全然意味のないことなんですよ。オリヴァーは未だにパーソナルな悲しみを綴って、この苦しみをどうにかしてくれと歌ってる。そんなこと歌っても世界は救われないわけですよ。だけど『トレインスポッティング』っていう映画もまさにそうじゃないですか。人の内面のドロッとした部分とユースカルチャーのマッシュアップのような作品で。だけど、言ってみたら「意味がない」と思われるようなものに人生を左右された人もたくさんいる。この『amo|アモ』もまさにそういう作品になってると思ったんですよね。
ー『トレインスポッティング』には、カサブタを剥がさないと気が済まない人達が描かれていると思っていて。だけど、痛みで命を実感するだけじゃなく、そこにある愛にだんだん気づいていく物語だなと思うんです。オリヴァーが今作で歌っているのも、そういう感覚を覚えるものですね。
そうなんですよね。だからこそ、ブリング・ミー・ザ・ホライズンを聴き続けてきた子達ーー悲しくてしょうがない子や、それこそ自傷癖のある子達が、ブリング・ミー・ザ・ホライズンと一緒に大人になっていくストーリーがそこにある。そうやって人とともにストーリーを作っていくことをしたバンドが最近はいなかったと思うんです。どうやったらフェスのトリを取れるんやろうとか、どうやったら売れるんやろうとか、そういうことを考えているバンドが多いですけど……でもブリング・ミーはそうじゃない。自分達のメッセージは変えずに自然と成長していってるんですよね。レイヴカルチャーを感じさせる曲もあるし、「ヘヴィー・メタル」ではラゼールをフィーチャリングしてますけど、その人選も、ただ流行りでラップを取り入れるだけじゃなくて自分達の音楽にしようとしている姿勢が見えて。
ー「ヘヴィー・メタル」という曲は、ブリング・ミーのこれまでとロックそのものを批評する歌にもなっていて、押韻とラップが山盛りになっている。この痛烈さが今作での大変化を象徴してますよね。
ほんまにそうですよね(笑)。だけど、こういうことは誰もが思ってたはずやから。ロックは一度限界を迎えたって。それを表現すべき人がやってくれたアルバムやと思いますね。やっぱり「いい曲」っていうアウターだけじゃなく、インナーまでしっかりしているんですよ。歌詞の譜割りも面白いし、韻を踏む部分もすごく細やかで面白い。そういうアップデートがしっかりある上で、イギリス人やな!って思うアンチクライストな部分もあるし、ドラッグのことを思わせる歌もある。だけど、綺麗なことを一切歌わないところにこそロックが根底に持っているものを感じるんです。常に痛みを伴うものを歌うのが、そもそものロックやと思ってるので。そういう根源的なことも感じさせる深いアルバムやなって。……まあ、人からしたらどうでもいいことしか歌われていないアルバムなんですけどね(笑)。だけど、その無駄が一番無駄じゃないし、人の心を動かすと思うんです。
ーそれは、Crossfaithのロック観であり音楽観でもあるんですか。
俺らは、サイバーな世界観を歌ったり鳴らしたりして、それを通して人間へのメッセージを伝えられるかどうかのバンドやと思うんです。ブリング・ミーが『トレインスポッティング』なら、ハリウッド映画をやりたいのが俺らというか(笑)。ただ、ベクトルは違えど、根底にあるロックへの想いは一緒やと思いますね。ロックバンドやってるのに、なんでわざわざ綺麗なことをせなあかんねん!って。