Koie(Crossfaith)が語るBMTH「自分達のメッセージは変えずに自然と成長している」

ーブリング・ミー・ザ・ホライズンは、前作の『ザッツ・ザ・スピリット』に至るまで、ビートミュージックをロックとしてどう消化するのかという楽曲も増やしていきましたよね。だけど今作『amo|アモ』では、完全に従来のロックサウンドから逸脱したビートとリズムに重心がある。で、Crossfaithは、ハイパーな要素をあくまでロックとしてどう食えるのかという挑戦と実験をしてきたバンドだと思っているんですね。そういう立場からすると、この『amo|アモ』を聴いた上で今ロックバンドが果たすべきアップデートはどういうものだと思ったんですか。

ああ……まさにそれは俺も考えましたね。「ロックというフォーマットであり続ける必要はない」ってオフィシャル・インタビューでオリヴァーも語ってましたけど、俺もほんまにそう思ったんです。それに、ロックをやっている人達の中にも実は「ロックっていうフォーマット自体がもう限界なんじゃない?」って思ってる人は多いと思う。たとえばブリング・ミーはデスコアから始まり、メタルコアになり、メインストリームなスタジアムロックになり、そこからまた投げ捨てて作り上げていった姿勢がある。アウターの部分というよりも、その姿勢が何より大事だと思わされたんですよ。そんな自分達がより一層激しいサウンドになるのか、もっとダンスミュージックに接近していくのかはわからないんですけどーーだけど、そうやって作って壊してきたからブリング・ミーは最重要なバンドになったと思うし、何もかも投げ売って新しいものを作ればいいんだよって世界中に言ってくれているバンドな気がしますね。それこそブリング・ミーもダンス・ミュージックに接近した曲が増えてるし、実はどんどん自由になってプリミティヴな衝動に還っていってるっていう見方もできる気がしてて。

ー原始的な衝動を解放するという点ではラウド・ミュージックとダンス・ミュージックはそもそも接続しやすいものでもありますし。

ダンス・ミュージックもラウド・ミュージックも、基本的には若者のための音楽じゃないですか。ダンス・ミュージックもラウドも、言葉にできないような感覚を外に出して分を破壊することで正直になるための音楽としてリンクしていると思うんですよね。で、ここ10年っていうのは、ロックバンドがアウターの部分だけにこだわり過ぎていたと思うんですよ。そこから新しいサウンドを見つけようとした時に、俺らのようにダブステップを取り入れてみたり。だけどそれをやってみても、伝えたい中身がないならそもそもバンドである必要がないんですよ。カッコいいだけの曲ならクリエイターが作っていればいいわけやから。だけど、それを誰がプレイするのが重要なのか?っていうふうになっていくのがこの『amo|アモ』以降やと思うんです。中身を伝えるためにアウターを変えていくことが重要なのに、アウターだけを作り込むことで時代に寄り添おうとするだけになってしまったから、今の時代のロックバンドから魅力がなくなっていったんじゃないかと思ってて。それによって、実際今は「ロックは死んでる」って言われてしまっているわけじゃないですか。オリヴァーも、インタビューで「ロックとしてのアイコンはもう生まれてきていない。もはや新たなパンクはヒップホップになっている」ってハッキリ言ってましたけど、それはつまり、結局自分の身を削って表現したものじゃないと誰も共感してくれなくなったっていうことやと思ってて。

ー今のラップ・ミュージックは音楽的な部分だけでなく、身を削った表現としても非常にリアリティを持っていると。

そもそも黒人の文化だったヒップホップに対して、白人のラップ・ミュージックがカウンターカルチャーとして盛り上がったのもそういうことやと思うんです。白人のラッパー達が内省的な表現をしていくことに救われた人達が確実にいたわけですよね。黒人文化の中で生まれたヒップホップにおいて、そもそも白人の人達は不利だったわけじゃないですか。そういう逆境の中で歌うのが半径5メートルのことばかりなわけですけど、結局、共感と感動を生むのはそういう肉薄した表現で。日本でも既にヒップホップが「流行り」の域を超えている状況があるわけですけど、やっぱり自分の人生を切り売りする覚悟がどれだけあるか、そのメッセージを届けるために音楽があるっていう考え方が今だからこそ大事だと思うんです。で、そういうカルチャーが盛り上がれば盛り上がるほど、アンダーグラウンドには「なんであんなダサいもんが売れてんねん」って言うヤツらも増えてきて、それもシーンの活性化になっていくわけですよね。

ーロック、ひいては音楽自体がカウンターによって転がってきたところは間違いなくありますからね。

そうそう。で、俺達が音楽を始めた時にもそういう感覚があったんです。メインストリームにあるものなんて全部クソじゃ!みたいな。で、そういう地下でこそ精神性の伴ったものが燃え滾ってるんじゃないかと俺は思うんですよ。そういう意味で言うと、ロックに限らず音楽そのものにどれだけ精神性が宿っているかが問われてる時代な気はしていて。で、逆説的ですけど、このブリング・ミー・ザ・ホライズンのアルバムはロックの範疇を抜け出しているからこそ「ロックとはなんぞや?」っていうことを改めて考えさせられるんですよね。まあ……ブリング・ミーって歌の内容を聞いてたらイタいんですけどね。言ってみたら大メンヘラですよ(笑)。

ーははははははは。そうですね。

だけど、そんなこと普段は言えないっていうことを叫ぶために俺らはロックをやってると思うから。……これはブリング・ミー・ザ・ホライズンと一緒に2013年のワープド・ツアーを一緒に回ってた時のことを思い返していて気づいたんですけど、オリヴァーがより内面的な方向に行ったのは当時のワープド・ツアーが大きかったんじゃないかと思うんですよ。

ーそれはどうしてですか。

アメリカのワープド・ツアーって、当時から似たバンドばっかりやったんですよ。♪ズズズズン、ドゥンドゥドゥン!っていうバンドしかいなかった(笑)。でもその中で、オリヴァーは駐車場で一人だけ寝転がって「興味ない」みたいな感じで本を読んでたんです。で、全部一緒と思ってしまうバンド達と2カ月くらいツアーをしていく過程で、「俺は何してんやろ?」と思って自分の内側に向かって行ったんじゃないかなと。……それに、日本のフェスを観ていても、同じようなメンツが多くてまさに画一的じゃないですか。意志がないままのフェスやイベントが増えていくと、どうしても一緒みたいなバンドばかりになってしまう。俺はそれがキモいと思うんです。まあ、こういうことを言うと怒られてしまいそうやけど(笑)。でも、好きなものと嫌いなものをハッキリと表明するのが俺達にとって大事なことじゃないですか。

ーそうですね。それに、言ったら怒られるかな?と思うことでもハッキリと言えるからロックバンドをやられているわけですよね。

そうなんですよ。普段言われへんことを言うためにやってる。それなのに、みんな何故イイ子ちゃんをしてるんやろ?って思うんです。こうしてロックバンドをやっている立場としても、ヒップホップを聴いてる人が「ロックバンドなんてダサい」って言うのがわかるんですよ。みんな同じカッコで同じような動きして、同じようなディッキーズを穿いてーーやっぱりそれは気持ち悪いですもん。逆に言えば、日本独自の文化なのかもしれないですけどね? でも、ロックがあまりにクリーンになり過ぎてしまった気がするんですよ。

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