ランディ・ローズの死と失意のオジー...バーニー・トーメが見た1982年の真実

写真左からオジー・オズボーンとバーニー・トーメ:1982年撮影(Photo by Larry Marano/Getty Images)



「アメリカに移動する前日か前々日にレコードを聴いたって状態だった」と、トーメがローリングストーン誌に語った。「だから、俺にできたことといえば、彼らと一緒にプレイする前に、音がハッキリ聴こえないウォークマン(カセットプレーヤー)で曲を聴くことだけた。楽曲は全部気に入ったし、ランディのプレイは天才的だった。でも、あの短時間では、曲の構成とランディのフレーズが入るタイミングを覚える以上のことはできなかったのさ。まず大枠で楽曲を覚えて、あとでディテールを入れることしか思いつかなかった。プレイしながら徐々に細かいことを覚えるしかなかったのさ」



トーメがオジーのバンドと会ったのはロサンゼルスで、ランディの死後1週間くらい経った頃だった。バンドのメンバーは彼に優しく接したが、「俺を歓迎する人は一人もいなかった。みんなにとって、あの場所はランディのものだったんだ」と、当時を振り返ってトーメが言う。

トーメはみんなの士気を高めて、前に進ませた人物がシャロンだと明言する。実はツアーが始まった頃から、このバンドには既に亀裂が入っていた。オジーの最初の2枚のソロ・アルバムで演奏したリズム・セクションはバンドを離れていて、後釜にローズのクワイエット・ライオット時代のバンドメイトだったベースのルディ・サーゾと、ブラック・オーク・アーカンソーのドラマー、トミー・アルドリッジを迎えていたのだ。つまり、オジー以外のオリジナル・メンバーはローズだけだった。

「オジーにとってランディはカギとなる人物で、オジーの新たなキャリアの根幹を成す存在だったし、友人でもあった」とトーメ。「だからランディが事故死してしまったとき、オジーは何もできなくなったんだと思う。誰だってそうだよ。オジーはボロボロだった。何度も涙を流したし、声を上手く出ないという健康面での問題も抱えていた。そのため、かなりの数のライブをキャンセルせざるを得なかった。ライブ後にステージを降りるオジーが泣いているときもあったよ。本当につらかったに違いない。でもオジーは何とか耐えて、ステージでは最高のパフォーマンスを見せていたのさ。そんな苦悩なんて一切見せずにね。あと、オジーはライブのある日は絶対に酒を飲まなかったよ。楽屋にビール1缶すら持ち込めなかった。禁止されていたからね」(トーメは、オフの日はその範疇ではなく、あるときなど朝10時からカクテルのアレクサンダーを何杯も飲んだ、と教えてくれた)。

Translated by Miki Nakayama

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