史上最も売れたアルバム『スリラー』の制作秘話:MJとクインシー・ジョーンズの情熱

1987年の日本公演でのマイケル・ジャクソン (Photo by Dave Hogan/Getty Images)


『今夜はビート・イット』の追加レコーディングは、『スリラー』における最後のセッションとなった。作業を終えた時、時計の針は午前9時を指していた。ブルース・スウェーディアンはその足でマスタリング用スタジオに向かい、クインシー・ジョーンズはマイケル・ジャクソンを彼の自宅に送り届けた。「カウチに彼を寝かせて、上からブランケットを被せてあげたよ」彼はそう話す。「その数時間後には、マスターのチェックに向かったんだけどね」

しかしマスタリング後のサウンドは、2人を満足させるものではなかった。収録分数が長かったためにレコードの溝が緻密になり過ぎ、サウンドが痩せ細ってしまっていた。打開策として、彼らは『レディ・イン・マイ・ライフ』のヴァースを削り、『ビリー・ジーン』のイントロを短縮することにした。締め切りが刻一刻と迫る中、彼らはさらにアルバム全曲のミックスをやり直す決意をする(すでにあらゆるラジオ局でエアプレイされていた『ガール・イズ・マイン』を除く)。1日に1曲のペースで進められた8曲分のミックス作業は、1982年11月8日月曜日に完了した。その22日後に『スリラー』が店頭に並んだ時、マイケル・ジャクソンは24歳になっていた。

1985年にジャクソンと初対面した時のことについて、ジェリー・ハーシーはこう話している。「彼はあの時点で、その後に起きることをすべて予見していたの。メディアの狂騒、桁違いのセールス、シングル曲のリリース順、さらには『ビリー・ジーン』で自分が世界的ブレイクを果たすことまでね」

彼の予想は現実のものとなった。しかしジョーンズは、アルバムがヒットするかはどうかは出してみるまで分からないと主張する。「確実にヒットする作品を意図的に生み出すことはできない」彼はそう話す。「だからこそ私は、スタジオの目立つところにこういう文言を掲げていたんだ。『神が足を踏み入れるスペースを、常に残しておくこと』」

それでも彼は、ひとつだけ確かなことがあると主張する。

「優れた曲なくして、ナンバーワンアルバムは生まれないということだよ」


音楽史上最も偉大なヴィジュアルアーティストの1人が手がけた、マイケル・ジャクソンのミュージックビデオの数々

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE