史上最も売れたアルバム『スリラー』の制作秘話:MJとクインシー・ジョーンズの情熱

『ビリー・ジーン』が完成した時点で、アルバム収録候補は9曲になっていた。「その時点で、アルバムとして成立するかどうかを検討してみた」ジョーンズはそう話す。「私はできる限り客観的になろうと努め、その結果4曲を不採用にした。決して出来が悪かったわけじゃないが、私たちは絶対に妥協しないと決めていたんだ」

「ある時点で、僕らは全部録り終えたと感じた」『スリラー』にキーボードで参加しているグレッグ・フィリンゲインズは、当時を振り返ってそう語る。「その時すでにセッションは長期化していたし、みんな疲れ果てていた。でもクインシーはレコーディングを続ける気だった。同じく疲れを見せていたマイケルは、彼にこう尋ねたんだ。『これ以上何をやろうっていうんだ?』でもジョーンズは何かが欠けていると感じていて、僕たちは再びミーティングルームに召集された」

その結果お蔵入りとなった曲のひとつは、2001年の再発盤で日の目をみることになる、軽快でリリカルな『カルーセル』だった。しかしそれとは別に、もうひとつ似たテイストの楽曲が存在していた。

「(メンバー数名が『スリラー』に参加している)Totoはデモを幾つか提供してくれた」ジョーンズはそう話す。「出来はまずまずというところだったけど、かけたままにしてたテープが終わりに達したと思ったら、短い無音の後で、明らかに仮歌と思しきヴォーカルが流れ始めた。痩せ細ってはいたけど、独特の魅力を感じたんだ」そのデモをベースに作詞を依頼されたジョン・ベティスは、『ヒューマン・ネイチャー』と題された曲の歌詞を書き上げた。

曲を形にしていく過程で、「風変わりで長尺のフックっぽいパーツ」を提供したルカサーは、同曲にアレンジャーとしてクレジットされている(クインシーはそういう面をしっかり管理してくれたと彼は話している)。鳥の羽を思わせるような、軽快で息の弾んだジャクソンのヴォーカルによって、この曲は『スリラー』の中でも群を抜いてポップなものとなった。こうして完成した『ヒューマン・ネイチャー』は、ジャズ界の巨人マイルス・デイヴィスが、晩年のライブで度々演奏していたことでも知られている。

このアルバムを世界最高の作品にしようとするジャクソンとジョーンズの並々ならない野心は、『スリラー』に収録されたその他の曲にも現れている。ジョーンズはこう語っている。「あらゆる層にアピールするには、ロックやポップだけでなく、R&Bからソウルまで、様々なジャンルを取り入れる必要があった」

テンパートンが手がけた優雅な『レディー・イン・マイ・ライフ』は、アルバムの幕を閉じるにふさわしいシナトラ風バラードだ。ジョーンズの妻のお気に入りだった下着ブランド名にちなんだ『P.Y.T.(プリティ・ヤング・シング』は、ソウルバラードを得意とするジェームス・イングラムと共に、ジョーンズがソングライターとしてクレジットされた唯一の曲となっている。鳥の鳴き声を思わせるシンセのサウンドとジャクソンのヴォーカルが絡み合う、アルバムの中では最もストレートなコンテンポラリーR&Bに近いこの曲では、やや気恥ずかしい80年代のスラングさえも登場する(ジャクソンが実生活で「限界マックス」や「かわい子ちゃん」といった表現を使ったかは疑問だが)。「ああいったノリも必要だった」ジョーンズはそう話す。「私がレイ・チャールズと一緒にやってた曲のような、ああいうグルーヴが欲しかったんだ」

彼らはもうひとつ切り札を用意していた。「普段聴いているようなロックの曲を書きたいと思っていた」ジャクソンはそう綴っている。1984年のインタビューで、ジョーンズはこう語っている。「いかにも白人らしいロックンロールの曲を入れたかった。スメリー(「ファンキー」という言葉を避けるため、ジャクソンが使ったよりぎこちない表現からついたあだ名)が書いた『今夜はビート・イット』を聴いた時は、爆弾が炸裂したかのような衝撃を覚えたよ」さらにジョーンズはのちのインタビューで、『マイ・シャローナ』を黒人が演ったような、黒いロックンロールをアルバムに入れたかったと話している。

『ビリー・ジーン』と同様に、『今夜はビート・イット』はソングライターとしてのマイケルの成長ぶりを物語っていた。暴力を否定する歌詞からは、浅はかさや説教がましさが少しも感じられない。しかし何より特筆すべきは、やはりロック譲りの強烈なグルーヴだろう。リズムセクション用のメトロノーム代わりに、ジャクソンはスタジオにあった空箱を叩き続けたという(彼は同曲で「ドラムケース叩き役」としてクレジットされている)ギター・ゴッドこと、エディ・ヴァン・ヘイレンの参加はジョーンズのアイディアだった。またヴァン・ヘイレンの当時の妻であり、女優のヴァレリー・バーティネリがジャクソンと友人であったことも、2人のコラボレーションを促すことになった。

ルカサーが当初ジャクソンからのオファーを冗談と受け止めたように、ヴァン・ヘイレンはジョーンズからの電話をいたずらと判断したという。何度目かの電話でようやくそれが正式なものだと悟った彼は、作品への参加に二つ返事で同意しつつも、その報酬の受け取りは拒否したという。「あれはお金のためじゃなかったからね」彼はそう話している。

スタジオでギターソロのレコーディングに臨んだヴァン・ヘイレンに、ジョーンズはこう伝えた。「私は何の指示も出すつもりはない。君に来てもらったのは、君の好きなように弾いてもらうためだからね」同曲に参加したルカサーは、ヴァン・ヘイレンのギターソロに想像力を刺激されたという。「エディーがあの曲でソロを弾いたと知って、とことんクロスオーバーであろうとする彼らの思いが伝わってきた。そこで僕はマーシャルのアンプを何台も積み上げて、文字通り音の壁を作り出した」彼はそう話している。「でもクインシーから『ギターがヘヴィ過ぎる。これじゃR&Bのラジオ局でかけてもらえない』と言われてしまってね。それで結局、よりライトなフェンダーのギターとアンプを使うことにしたんだ」

それでもなお、『今夜はビート・イット』のサウンドは、ロックとR&Bのリスナー両方を驚かせた。アイランド・デフ・ジャムの代表LA・レイドは、曲を初めて耳にした時の衝撃についてこう話す。「最近はマッシュ・アップと呼ばれる手法が注目されてる」そう切り出しつつ、彼は続ける。「リンキン・パークとジェイ・Zが一緒にやったやつなんかがそうだ。あれは確かにユニークだけど、決して斬新というわけじゃない。でも当時、ロック界の頂点にいたエディ・ヴァン・ヘイレンがあの曲に参加するというのは、文字通り事件だったんだ。しかもそれは見事にフィットしていて、R&Bのトラックにギターソロを入れただけの安易なものとはまるで違った。思いがけない2人のコラボレーションは、有機的な化学反応を起こしたんだ」

Translated by Masaaki Yoshida

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