史上最も売れたアルバム『スリラー』の制作秘話:MJとクインシー・ジョーンズの情熱

ジャクソンがホラー映画好きであることを知ったテンパートンは、後者のリリックをより不吉なものに書き変えた。『スターライト』と呼ばれていたその曲は、よりドラマチックなアレンジを施され、ブロードウェイのミュージカルを思わせる物語性、そして体が自然に動き出すようなダンスビートが共存する『スリラー』へと生まれ変わった。「楽曲の最後に語りの部分を入れるアイディアは最初からあった」『スリラー』の再発CDに収録されたインタビューで、テンパートンはそう話している。「でもどういう内容にすべきかは決めかねていた」そこで白羽の矢が立ったのが、ジョーンズの妻のペギー・リプトン(『モッズ特捜隊』のジュリー役として有名)の友人だった、ホラームービー界の大物俳優ヴィンセント・プライスだった。

「僕らが出した案は、彼にいつもの調子でホラーっぽいストーリーを語ってもらうというものだった」テンパートンはそう話す。「セッション前日になって、クインシーから電話がかかってきてこう言われたんだ。『少し不安なんだよ。やっぱり読み上げる内容は君が用意した方がいいと思う』」テンパートンはスタジオに向かうタクシーの到着を待つ間に、楽曲の終盤に登場するグルーヴィで狂気じみたラップの1ヴァースを書き上げ、その車内でさらにもう2つのヴァースを書いた。「その内容はまるで、エドガー・アラン・ポーの小説の一部のようだった」ジョーンズはそう話している。「ヴィンセントはそのムードを見事に表現してくれた。2テイクですべて録り終えたよ」

アルバム制作期間中のスタジオにおけるマイケルの様子について、ギタリストのルカサーはこう語る。「あの作品に対する彼の情熱は並々ならなかった。彼は明確なヴィジョンを持ってた」彼はそう話す。「マイケルがグルーヴを感じて体を動かせ始めたら、それは僕たちの演奏が彼のヴィジョンに叶っているっていうサインだった。ムーンウォークは出なかったけど、手や足でリズムを取りながら、クインシーと一緒に踊り始めるんだ。それがスタジオのヴァイブを一気に煽って、僕たちの優れたパフォーマンスを引き出してくれた。最高にクリエイティブな現場だったよ」

『スリラー』のレコーディングセッション前半、チームの間でも最も意見が分かれた楽曲は、同作における中心的役割を果たすことになる。2001年発表の再発盤に収録された『ビリー・ジーン』(マイケル自身が手がけた4曲のうちのひとつ)のデモバージョンは、同曲のグルーヴとサウンドにおいて、彼が早い段階から明確なヴィジョンを持っていたことを物語っている。

しかしジョーンズは、イントロのインスト部分が長すぎると主張した。「ヒゲを剃れるくらいの長さだった」ジョーンズはそう話す。「でもマイケルはこう言った。『あのパートこそが、僕を踊りたい気分にさせてくれるんだ』マイケル・ジャクソンが踊りたいという以上、私たちが口を挟む余地はなかった」

本物のビリー・ジーンがマイケルに送った郵便物には、凶器と自身の命を絶つ方法を記した文書が入っていた。「彼女の顔を覚えておかなきゃな。どこかで彼女が僕の前に現れた場合に備えてね」

既に強力だったビートにさらなるパワーを持ち込むべく駆り出されたのは、ドラマーのンドゥグ・チャンクラーだった。「マイケルは求めるサウンドをはっきりとイメージしていた」チャンクラーはかつてそう語っている。「原曲にはドラムマシンのビートしか入ってなかった。その上から、僕が生ドラムを被せたんだ」またクレジットされていないものの、楽曲の全編に渡って聞くことができる、アブストラクトな管楽器のサウンドと絡み合うようなトム・スコットのソロは、同トラックにおける絶妙な隠し味となっている。

歌詞のインパクトも絶大だった。「行動には気をつけろ 嘘は現実になるから」そう歌ったマイケルが『ビリー・ジーン』で描いたのは、身に覚えのない非難を浴び、恐怖におののく人物の姿だ。それは神童と呼ばれた彼が、かつて見せたことのない一面だった。「自身に対する世間のイメージを、彼は払拭しようとしていた」マイケルの母親のキャサリンは、著書『マザー』の中でそう綴っている。「"いい子"のイメージが強すぎたんだと思います」。

信じがたいことに、歌詞の内容は実話に基づくとされていた。しかしジャクソンはその真相について、クインシー・ジョンズにさえ話していなかった。ローリングストーン誌のジェリー・ハーシーがジャクソンの自宅を訪れた際に、ダイニングルームにあったフレームに入った写真について言及すると、彼はそれが本物のビリー・ジーンであることを認めたという。ハーシーはその女性について「10代の黒人の少女で、平凡な容姿だった。写真は高校のイヤーブックのものらしかった」としている。彼の子供を身ごもったと主張する彼女から送られてきた郵便物には、凶器と自身の命を絶つ方法を記した文書が入っていたという。「彼女の顔を覚えておかなきゃな」彼はそう話していたという。「どこかで彼女が僕の前に現れた時に備えてね」

マイケルが自伝『ムーンウォーク』でその主張を翻したのは、精神異常者のレッテルを貼られることを避けるためだったのかもしれない。「ビリー・ジーンは架空の人物だ」そう断言した彼はこう綴っている。「曲に登場する少女は、僕たちを長年悩ませ続けた人々を象徴する偶像だった」2001年末にジョーンズは、同曲のテーマについてこう説明している。「壁をよじ登って侵入した少女が、相手を双子の片方の父親だと主張する、そういう感じだよ」

ジョーンズは同曲のタイトルについて難色を示していた。テニス選手のビリー・ジーン・キングのことを歌っているという誤解を持たれることを懸念した彼は、タイトルを『ノット・マイ・ラヴァー』に変更すべきだと最後まで主張したが、マイケルは決して譲ろうとしなかったという。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE