沢田研二を描いた究極のノンフィクション、担当編集者と辿る完成までの道のり



田家:第六章、時代を背負って。沢田さんはパラシュートを背負っておりましたけどね。第五章と第六章は1970年代から1980年代にかけて、音楽の流れが変わっていく中でのジュリーという、1972年前後から開花したニューミュージックの台頭で音楽シーンが変わり始めていた。244ページ。「夜ヒット」のこととかいろいろ書かれていましたね。

内藤:沢田さんの人気というのはもちろん沢田さんがスターであるというのは変わりないんですけど、今の時代と一番違うのは大衆の存在のあり方みたいな気がしていて。あの時代はテレビをみんながお茶の間で囲むという文化があったからこそ、あそこまで熱狂が生まれたのではないかというのも、ここに現れているなと思いながら。

田家:夜ヒットの司会の芳村真理さんの「スターたちの憧れがジュリーだった」という証言があったり、そういう直接、曲をお作りになった人とか、メディアで関わった人とか距離感がいろいろあるんですけど、身近な証言というところで言うと、マネージャーの森本さんですね。「勝手にしやがれ」の話もこの章の中に出ていて、沢田さんは、「レコ大を取った時に喜ぶな、来年の大晦日に喜べるかが問題やろ」って森本さんに怒った。

内藤:来年は1年365日歌いましょうって言ったエピソードも披露されているけど、森本さんと常に一緒にいたというのが、井上堯之さんだと思うんですけど、井上さんのバンドがなぜ沢田さんのところを離れたのかというところを結構頑張って取材していて。

田家:これ初めて知りました。

内藤:そうなんですよ。文献に全然載っていなくて、誰も真意を知らずに、なんでなんだろうねみたいな。井上さんも亡くなってしまって真相が闇の中みたいな感じだったのを丁寧に当時の資料と大野さんと木﨑さんに最終的に確認する形で書いたんですけども。

田家:大野克夫さんが井上バンドのギャランティの話までされていて、え、こんなに高かったんだというのがありました。

内藤:そうなんですよ。バックバンドがあれだけ大御所を揃えて、しかもそれでレコーディング、練習からちゃんと本番までやるという体制はなかなかナベプロの中でもなかったらしくて。結局結論としてはバンドを若返らせたいという加瀬さんの戦略の1つだったんじゃないかというところになっていくんですけど。

田家:そこに「TOKIO」も関係しているわけですもんね。

内藤:そうなんですよ。その衣装についていけるかみたいな。ここで木﨑さんがローリング・ストーンズの例を出して説明されているんですけどミック・ジャガーは新しくどんどん変わっていきたいけど、キース・リチャーズは嫌がってスタジオにも来なくなったりという全く同じことが起こっていて、ただ沢田さんはビジュアルと歌という2つの大きな柱があって。ビジュアルをやっていくには後ろも含めて、どんどん新しいことに挑戦していける人たちじゃないとできなかったんじゃないかという。ここの別れを描く島崎さんの筆致もかなり心に来るものがあるんですよね。

田家:第七章にいきましょうか。レゾンデートルの行方。その中の曲です。1983年 5月発売「晴れのちBLUE BOY」。



田家:作詞が銀色夏生さんで、作曲が大沢誉志幸さん。バンドは吉田建さんがリーダーだったエキゾチクスですね。内藤さんがさっきおっしゃった若返り。1980年代の若返り、加瀬さんと木﨑さんが考えたこと。

内藤:エキゾチクスに着く前にオールウェイズにも吉田さんはいらっしゃったんですけど二段階で若返りをさせていって、エキゾチクスでそれが完成したと書いていますね。

田家:この時に沢田さんに書かれた作曲家、プロデューサー、作詞家、伊藤銀次さんとか三浦徳子さんとか、銀色夏生さんとか佐野元春さんとか、白井良明さんとかガラッと変わりましたもんね。

内藤:そうですよね。ここにも書いているんですけど、レコードの購買層は常に若い人で自分たちの時代の音楽をみんな常に聴いていたんですけど、やっぱり35歳ぐらいになっていくと、それまでのようには曲を聴かなくなっていって、どんどん売れなくなっていって。ただ、自分の下の層に向けて音楽を届けようとすると、その下の層には下の層のスターがいるから上手く届かなくなっていってしまうみたいな話なんですよね。なので、このレゾンデートルというのは存在意義という意味なんですけど、何年も走ってきた沢田さんがここでちょっと壁にぶつかっていく、つらい章なんですよね。

田家:何を歌うべきか模索がいろいろな形で書かれているわけですが、その中で陽水さんの「背中まで45分」の話も出てきます。読んでいて思ったんですけど、第二章、第三章、第四章は50ページ以上あるのですが、第五章の歌謡曲の時代以降、第六章、第七章は30ページ強という若干長さが変わっていますね。

内藤:最初から意識してそうしようというわけではないんですけど、盛り上がっていく時代の方が証言者も多いし、みなさんの記憶にもかなり残っていると思うので書くことが特筆すべき事件とかエピソードがすごく多いということだと思うんですよね。

田家:最終章のイメージはどのへんからあったんですか?

内藤:最終章は、最初から島崎さんがルネッサンスで書きたいというふうにおっしゃっていて、右肩上がりじゃないといけないと思ってしまう日本ではよくないのではないかと沢田さんご本人もおっしゃっているんです。それに寄り添うイメージで沢田さんも本人の中での復活を遂げて、右肩上がりじゃないかもしれないけど歌い続けているというところで落としたいという話だったんですよね。

田家:第八章、最終章、沢田研二ルネッサンスの中からお聴きいただきます。1985年の曲「灰とダイヤモンド」。

Rolling Stone Japan 編集部

Tag:

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE