沢田研二を描いた究極のノンフィクション、担当編集者と辿る完成までの道のり



田家:1976年のアルバム『チャコール・グレイの肖像』から「あのままだよ」。ソロになって沢田さんがバンド時代を振り返っている曲ですね。これをタイガースの章の中で使っている。

内藤:これ、岸部修三さんが作詞されたというので、瞳みのるさんのことを想って書かれた歌詞と言われていて。あの時俺はお前と一緒にいたかったから学校に行ってたし、行かなくなったから行かなくなったんだよとずっと訴えているという曲で。

田家:これで締めるというのがすごいですよね。

内藤:島崎さんの書き方も本当に文学的というか、ただのノンフィクションの評論ではない。

田家:もう全然違いますよ。

内藤:私も資料とかいっぱい集めたし、取材も同行させてもらったんですけど、これをここに使うのか!ということばかりで。ずっと集めている時も私の中にはビジョンが見えていなかったので、ここでこれを出すのかー!ということばかり。

田家:第三章。自由、反抗、挑戦。これもそういうことの連続でしょう(笑)。

内藤:PYGのことを書いた章なんですけど、沢田さんとショーケンさんのツインボーカルという。当時からしたらありえないぐらいスーパースターが2人同じチームに入るというビッグバンドなんですけど、その挑戦が失敗に終わってしまうという。

田家:この自由、反抗、挑戦は柱が2つありまして、1つは早川タケジさん。伝説のデザイナーの彼が作ったイメージと言うんでしょうかね。ジェンダーを越境するというこの見出しがいいと思ったんですけど、そういう話とPYGの話と2つあって、自由、反抗、挑戦が象徴されているわけですけど、本人の発言で「大人たちがしない方がいいということならOK」という、そういう目安があったというのありましたもんね。

内藤:それもすごいですよね。たぶん30歳以上の大人を信じるなみたいな、そういう流れもあると思うんですけど。

田家:僕もそうだったわけですけど(笑)。

内藤:その流れから来ている言葉じゃないかなとも思うんですけど、タイガース時代も大人たちからしたらあんなの音楽じゃないって言われたり、早川さんがデザインした衣装も全く上に理解されずに、化粧とかも後年そうですけど、ナベプロの渡辺晋さんはあれやめさせろと言っているのも、大人がそう言うなら沢田さんは解釈してやっていくわけですよね。その感性がここまで大きくさせたんだろうなという気が。

田家:そういう若いロックファンからも帰れ帰れと言われたのが、彼の一つの運命的な出来事でもあったわけですけどね。PYGの中で伝説のプロデユーサー、今は美術家の木村英輝さんが出ていた。これは驚きました。京大西武講堂でPYGがものを投げられたり、帰れ帰れ言われた時、木村さんはその場にいらした。コンサートをプロデュースされた方としてあの時のことをどう思ったかという。その時彼が話していたことも書いてありましたもんね。

内藤:そうなんですよ。京大西武講堂の話もそうですし、比叡山のコンサートをフリーコンサートにした方がいいと言ったのも木村さんだった。そういうメモリアルな場面にいっぱい一緒にいらっしゃるんですけど、俺がいるとケチがつくみたいな感じで去っていくんですよね。その流れも後で出てくる吉田建さんとかもそうなんですけど、スターだからこその出会いと別れみたいなものがおもしろいんですよね。

田家:第三章自由、反抗、挑戦の中で出てくる曲をお聴きいただきます。1971年7月発売、PYGの「自由に歩いて愛して」。

Rolling Stone Japan 編集部

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