ティナ・ターナー、家庭内暴力を乗り越え自立した女性をめざして 歌で世界に愛と勇気を与えた生涯

1969年ティナ・ターナー(JACK ROBINSON/HULTON ARCHIVE/GETTY IMAGES)

「ロックの女王」ティナ・ターナーが、長い闘病の末、83歳で逝去した。家庭内暴力という自身の辛い経験を乗り越え、自立した女性として世界を切り開いてきたティナ・ターナーの生涯を振り返る。

「痛みやトラウマを抱え、それを踏み台にして世界を変えようとしてきた女性に、どうお別れを言えばいいのだろう? 自分の物語を思い切って語り、犠牲も顧みずに人生をまっすぐ突き進み、強い意志で自分や他のアーティストのためにロック界に道を切り開いてきたティナ・ターナーは、怯えて暮らしていた人たちに、愛と思いやり、自由に満ちた明るい未来の姿を見せてくれた」と、1993年の映画『ティナ』で、ティナ・ターナー本人を演じた女優アンジェラ・バセットは、ティナ・ターナーを追悼した。

「ロックンロールの女王ティナ・ターナーは、スイス・チューリッヒ近郊のキュスナハトの自宅で、長い闘病生活の末、83歳で穏やかに息を引き取りました。音楽界のレジェンドであり、ロールモデルであった彼女を世界は失ってしまった」と、家族が24日に声明を発表。本記事では、米ローリングストーン誌の過去のインタビューとともに、彼女の83年の生涯を振り返る。

1939年11月26日生まれ、ティナ・ターナーことアンナ・メイ・ブロックは、テネシー州のナットブッシュで生まれ育った。ここはヘイウッド郡の人里離れた地域で、彼女の楽曲「ナットブッシュ・シティ・リミッツ」でも歌われている。本人いわく、一家は分益小作農でまずまずの暮らしをしていた「裕福な農家」だったという。とはいえ、両親が仕事で家を離れる時には、姉のルビー・アイリーンと孤独をやり過ごしていた。



「母と父は愛し合っていなかった。だからいつも喧嘩ばかりだった」と、ターナーは1986年にローリングストーン誌のインタビューで語っている。ティナが10歳の時、最初に母親が家を出てセントルイスに移り住み、その3年後には父親が家を出た。ターナー本人はテネシー州ブラウンズビルに引っ越して、祖母と暮らした。

高校卒業後は、正式雇用を目指して看護士見習いの職に就いた。姉とは頻繁にセントルイスやイーストセントルイスのナイトクラブに通い、そこでキングス・オブ・リズムというバンドのリーダー、アイク・ターナーのパフォーマンスを初めて見たという。18歳だったターナーは8歳上のギタリストと音楽にすっかり魅了された。ある夜、ドラマーが観客席にいたターナーにマイクを手渡した。アイクがバンドのボーカルをやらないかとティナを誘い、ボイスコントロールやパフォーマンスの手ほどきをした。彼女は通称「リトル・アン」として、カールソン・オリバーとともにアイク・ターナーの「Box Top」で歌うことになった。これが彼女にとって初めてのスタジオ収録だった。


1984年、米ローリングストーン誌の表紙を飾るティナ・ターナー

「Box Top」がリリースされた1958年、ターナーはキングス・オブ・リズムのサックス奏者レイモンド・ヒルとの間に、第1子となるレイモンド・クレイグを出産する。ほどなくターナーはアイクと同居し、アイクが別れた妻との間にもうけた2人の息子の世話をした。やがてアイクとは男女関係に発展したが、最初のうちはあまり心惹かれなかったと1984年のローリングストーン誌とのインタビューで語っている。「兄のように慕っていたの。付き合おうとは思っていなかった。でもなんとなく、だんだんそうなっていった」 アイクの要請で、シリーズ映画『ジャングルの女王シーナ』にヒントを得て、ターナーは芸名をティナに変えた。

Translated by Akiko Kato

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