ティナ・ターナー、家庭内暴力を乗り越え自立した女性をめざして 歌で世界に愛と勇気を与えた生涯

1960年、アイクとティナ・ターナーはデビューシングル「ア・フール・イン・ラブ(A Fool in Love)」をリリース。たちまちヒットとなり、ビルボード・シングルチャート30圏内にランクインした。翌年にリリースした「イッツ・ゴナ・ワーク・アウト・ファイン(It’s Gonna Work Out Fine)」もヒットし、グラミー賞最優秀ロックンロール・パフォーマンス部門で初ノミネートを果たした。初期60年代にはアイク&ティナ・ターナー・レヴューとして黒人ナイトクラブで精力的にツアーをこなし、クオリティの高い演出と幅広い層からの支持で一目置かれる存在になった。



「成功と恐怖はほぼ同時にやってきた」と、ティナはローリングストーン誌に語った。とくにアイクのほうが、「A Fool in Love」の後に彼女を失うのではないかと恐れていたそうだ。アイクは女遊びを辞めず、彼の楽曲が他の女性との関係を歌っていることにティナも気づいていた。ある時、彼女は巡業で彼の歌を歌うのを拒否した。初めて彼女が歯向かった時、アイクは靴べらで彼女を殴り始めた。それでも彼女は彼の元を離れなかった。「アイクに忠誠心を感じていた。彼を傷つけたくなかったの」と、1984年にローリングストーン誌に語っている。「もし私がいなくなったら、歌う人がいなくなる。それで罪悪感にかられたの。時々、彼に殴られた後に申し訳ないという気持ちになった。あざや切り傷だらけでへたり込み、彼にすまないと感じている。なんというか……洗脳? たぶん洗脳されていたのね」 2人は1962年にティフア
ナで結婚した。アイクにとっては6度目の結婚だった。

1966年、ターナー夫妻はいまや伝説となったTVロック番組『TNTショウ』に出演した。番組の音楽ディレクターを務めていたのがプロデューサーのフィル・スペクターだ。自身のレーベルに2人を契約させた後、スペクターは本人も傑作と認める「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」(River Deep - Mountain High)をプロデュースした。レコーディングの際、ティナは数えきれないほどのテイクを収録した。期待したほどの大ヒットにはならなかったが、この曲でアイクとティナの前に道が開けた。



1969年、2人はローリングストーンズの全米ツアーの前座を務め、その後クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルの「プラウド・メアリー」(Proud Mary)をカバー。この曲はティナのおかげでじわじわと人気を集め、やがてジャンルを超えてヒットし、グラミー賞最優秀R&Bグループ・ボーカルパフォーマンス賞を受賞した(クリーデンス・クリアウォーター・リヴァイヴァルのジョン・フォガティも、「彼女のバージョンが大好きだった」と声明の中で語っている。「個性的で最高だった」)。1975年、ザ・フーの『トミー』をベースにしたケン・ラッセル監督のスペクタクルムービーでは、ティナもアシッドクイーン役で出演した。


ティナ・ターナーとアイク・ターナ、1975年ロンドンにて(Photo by Michael Putland/Getty Images)

だがそんな中、ターナー夫妻の結婚生活にはほころびが見え始めていた。アイクは次第に暴力的になり、コカインにのめり込んでいった。これまで何度も彼と別れようと考えていたティナは、暴力的な夫から離れたいがために1968年には自殺を試みた。後に本人が「最後の激しい暴力」と語るできごとの後、ティナは2人が出演していたダラスのラマダ・インに文字通り逃げ込み、友人で女優のアン・マーガレットにロサンゼルス行きの飛行機代を工面してもらった。アイクが彼女の行方を捜しまわる間、彼女は映画『トミー』の共演者と一緒だった。夫婦は1976年に離婚した。

Translated by Akiko Kato

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